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福岡地方裁判所 昭和45年(行ウ)50号 判決

原告

茅嶋洋一

半田隆夫

山口重人

原告三名訴訟代理人弁護士

井上正治

外五名

被告

福岡県教育委員会

右代表者福岡県教育委員会委員長

田中耕介

被告訴訟代理人

堤千秋

外四名

主文

被告が原告半田隆夫同山口重人に対し昭和四五年六月六日付でなした各懲戒免職処分はこれを取消す。

原告茅嶋洋一の請求を棄却する。訴訟費用中原告半田隆夫同山口重人と被告との間に生じたものは被告の負担とし、原告茅嶋洋一と被告との間に生じたのもは同原告の負担とする。

事実《省略》

理由

第一本件処分の経過と特色

一原告らの経歴とその地位

〈証拠〉によると次の事実を認めうる。

原告茅嶋洋一は、昭和四一年三月早稲田大学第一文学部哲学科(東洋哲学専修)を卒業し同年中学校及び高等学校の社会科教員免許状を取得後同年四月福岡県高等学校教諭に採用され同月一六日以降福岡県立伝習館高校に教諭として勤務し社会科の授業を担当していたものであるが、本件処分に至る間主として倫理社会と政治経済の科目を担当したが、昭和四二年に日本史、昭和四三年地理を各一クラス併任し、また昭和四三年度三学期に同校定時制課程で世界史も担当した。

そしてクラブ活動では年度によつて異なるが、演劇部、社研部、弁論部、山岳部等の主任または副主任或いは顧問をしていた経歴がある。

原告半田隆夫は、昭和三八年三月九州大学文学部史学科を卒業し、昭和四一年九月三〇日同大学大学院修士課程文学研究科史学専攻を修了して文学修士の学位を得た。右大学院在学中の昭和四〇年に福岡県高等学校教員試験に合格して昭和四一年四月以降伝習館高校に教諭として勤務して社会科の授業を担当していたものであるが、本件処分に至る間日本史と地理を担当していた。

原告山口重人は、昭和三七年三月熊本大学法文学部哲学科を卒業し、昭和三七年一〇月から昭和三八年三月まで熊本県下益城郡西部中学校常勤講師として英語、数学を担当し、昭和三八年六月から昭和三九年三月まで福岡県八女郡星野中学校常勤講師として英語を担当し、昭和三九年四月教諭となり以降昭和四四年三月まで福岡県立築上中部高等学校の教諭として倫理社会及び政治経済を担当し同年四月から伝習館高校に勤務して社会科の授業を担当していたものであるが本件処分に至るまで倫理社会と政治経済の授業を担当していた。

二本件懲戒処分に至る経緯

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

(一)  福岡県教育庁(被告教育委員会の事務局)の人事管理主事斉藤進ほか西尾、北村、前田各主事は、昭和四四年一二月七日(日曜日)同庁教育次長瓜生二成の指示に基づき伝習館高校において同校教諭茅嶋洋一、同半田隆夫、同山口重人、同箱田尚敬の四名に限定してその服務状況の調査を行なつた。右調査の端緒は、右の四名について「自習が多く調査の上指導措置をしてほしい」旨の右瓜生二成に対する差出人不明の投書と同校卒業生と称する者からの電話連絡にあるとさるれが、連絡主の氏名が不明であるうえ、同校々長を経由することなく右投書等に基づき直接に調査を実施していることなどからすると、右調査の端緒が真実右の如きものにとどまるものであつたか否かについてはにわかに断定し難い点がないわけではない。

そうして、同日の調査には、斉藤主事の事前の連絡によつて、内田校長、石橋教頭、小川事務長、三小田教務部長、石橋生徒部長の各教職員が立ち会つたが、右調査にあたり内田校長らは、校長を経由せず直接調査に来校したことに難色を示したが、斉藤主事らは教育次長の命令によるものであり、また同年六月県議会において小倉工業高校で自習時間が著しく多いことが取り上げられたことを説明してその協力方を要請した。

調査の内容は前記四教論の一〇月及び一一月中の服務状況に主眼が置かれ、調査資料は、出勤簿、出張命令簿、行事予定表、時間割、服務関係整理簿、教務日誌、及び学級日誌等に及んだ。右調査に併せ、当時高校生の政治活動が各地で問題になつているということで、伝習館高校における生徒の政治活動の状況が校長及び生徒部長から事情聴取された。

斉藤主事らは同日の調査結果を瓜生次長に口頭報告したがそれによると、小倉工業高校の場合ほど自習時間が多くなく、自習時間自体としてはさして問題とすべきでないというものであつた。

(二)  伝習館高校では翌一二月八日、職員会議が開催され、その席上校長及び教頭から前日の教育庁職員による調査の概要を説明し、また一部教諭はホーム・ルーム等を利用して右調査を生徒らに知らした。そこで同月二四日二学期の終業式の際、内田校長は、同校生徒から右調査は教育庁による不当な介入であるか否かなど後記五項目にわたる質問を出され校長所見を求められたが同人は即答を避け、一月八日始業式の場で全校生徒に対しその見解を表明することを約束した。

一月七日開催された同校の職員会議では、教育庁の前記調査は手続的には校長を経ることなく直接前記四教諭の服務状況の調査をしたこと、実体的にも教育内容について、ことに学級日誌まで調査したことについて教育庁の不当な介入であるとの意見が多数を占め、結局今回の調査は教育庁による不当介入であるとの決議をした。内田校長は右決議に則り一月八日の同校始業式において同校全生徒の前で右の決議の趣旨を述べた。その後開催された職員会議で一月一六日に再度生徒に対する説明会と各教諭の意見発表を行なうことを約束したが、その間に右校長発言と一月一六日の説明会のことが教育庁の知るところとなり瓜生次長は、内田校長、石橋教頭、石橋生徒部長、三小田教務部長らを教育庁に呼び、前記校長発言の真意をたずね、同人の真意でないならばその発言の取消と、来る一月一六日の説明会の中止或いは校長のみの説明に留めるよう内田校長らを粘り強く説得した。内田校長はその後の職員会議で右説明会の中止等につき再議に付したが否決された結果、一月一六日に再び生徒に対する説明会が開かれ校長以下数名の教諭の意見発表がなされた。

(三)  伝習館高校の教諭有志は、昭和四五年二月一一日の建国記念日に同校会議室で建国記念日に関連した問題について生徒らと討論集会を開くことを企画し、同月一〇同午後四時ごろから茅嶋教諭と深見教諭は同校正門附近で、荒尾教諭及び箱田教諭は同校裏門附近でいずれも下校中の生徒並びに教職員に「国家幻想の破砕を」と題し、「建国記念日」の虚偽をはぎ己の観念の内なる「国家」を対象化するため登校と討論集会を呼びかける旨のビラを配布した。そして茅嶋教諭ほか箱田教諭、今岡教諭、石橋保一教諭ら四名は二月一一日同校二階会議室で同校生徒ら約五〇名と共に討論集会を開いた。

ところで同校の田中栄教諭は、昭和四四年一一月上旬高教組を脱退し、その後教職員連合に加入しているところ昭和四五年二月上旬、前記瓜生次長から原告ら及び箱田教諭らの行動につき調査協力方要請をうけてこれを承諾していたことから茅嶋教諭らが配布したビラを同月一一日右瓜生次長の自宅に届出た。

その後、同月一九日ごろ「柳川伝習館高校を守る会」準備委員会よりの二月アピール(以下単に二月アピールという)という文書(乙第三〇号証)が福岡県教育庁関係者や伝習館高校の一部教諭、父兄、同窓生らに対し多数郵送された。その文書は四頁にわたり「伝習館を守る会」準備委員会在東京委員会なる名義で特定人の住所氏名の記載はなく二月一〇日付となつており東京都の京橋局の消印がある。その記載内容は多岐にわたるが、その中には、茅嶋教諭はいわゆる三派系造反教師と記され同人を先頭に山口教諭、箱田教諭、半田教諭、深見教諭を中心として造反教師の集団が勢力を拡張しつつあること及び同文書の主張にそう同人らの学校内外での具体的言動なるものが数多く列挙されていた。

右二月アピールを契機として伝習館高校は教諭、生徒を含め学内は動揺し、ことに造反教師と記された教諭らはこれに憤激し反撥した。

右二月アピールに対抗して同窓会有志名義で「伝習館を支持する会」も結成され造反教師と名指しされた五人の教諭を擁護して「二月アピールは悪意に満ちた中傷だ」とのビラを配布し、以後双方からの文書が数多く発行された。

そこで瓜生次長は内田校長に対し右二月アピール記載の事実の真相を確かめるべく報告を求めたが、同人の報告によつても判然とせず要領を得なかつた。

(四)  前記田中栄教諭は、昭和四五年一月一六日、深夜半田教諭の自宅を訪ね、同人に対し「茅嶋、山口らと手を切り高教組を脱退した方がよいのではないか」と申し向け今後の半田の身の振り方について同人の回答を求めたうえ、他にこれを口外することを禁じた。右田中はその後同年四月頃も右と同趣旨の話を半田にした事実がある。半田教諭は伝習館高校において高教組の分会役員をした経歴もあり当時も積極的な分会活動家の一員であつたところ右田中の誘いには応じず他に右事実を口外しなかつたが本件処分通告後の六月六日に同僚の箱田教諭及び山口教諭らに右事実を公表した。

このような学園内の動揺のさ中に伝習館高校は三月一日卒業式を迎えた。ところが右卒業式において県教育長代理の中島学校教育課長が告辞を朗読するや一部生徒は「拒否」と書かれた横幕を掲げ、ヤジを飛ばし、校歌斉唱のとき労働歌を唄うなど式場は騒然となつた。

その後三月六日、七日の両日、福岡県議会(昭和四五年二月定例会)が開催された際、山下、有田両県議会議員から伝習館高校に関する諸問題について質問し、吉久教育長がこれに回答した。

右質問中には、前記一月八日始業式の際、生徒からの五項目(一、教育庁、国家権力の不当介入について正式な経過報告をせよ。二、それについて明確な見解を示せ。三、一二月七日の教育庁からの来校に対して学級日誌を見せたそうだが、何故そうしたのか。四、一二月八日にわれわれ生徒の活動を教育庁になぜ報告したのか。五、一九日に教育の反動化粉砕と書いたビラを職員会議ではぐことをきめ、生徒にそれをはがせたのはなぜか。)の質問に対し内田校長が回答したこと、前記二月アピールの記載内容の真偽並びにこれに対する措置、右卒業式における混乱等について言及した部分もある。吉久教育長は校長回答についてその見解を述べる一方、二月アピールの真相、卒業式の混乱等については詳細な事実を調査中であるから、その調査結果をまつて必要な措置をとること、正常における学校の管理運営ないし生徒指導の適正化について十分配慮する必要があり、県教育委員会は伝習館高校における前記諸問題について重大視しており必要な措置をとりたい旨回答した。

(五)  教育庁の森教職員課々長補佐ほか五名の職員は、同年三月一七日(春休み)に第二回目の伝習館高校の調査にあたつた。調査目的は、同校における教育計画の実施状況と教師の服務の実態、具体的には前述の二月アピールの真相、卒業式の混乱の責任、教師の服務状況等を中心とするものであつた。同日の調査には高教組本部書記長、伝習館分会長ら数名の組合役員が立会した。組合役員らの右調査に対する抗議等の影響もあつて同日午前中は調査が進まず午後一時ごろから午後六時三〇分ごろまで提出書類等の調査を行なつたが、学級日誌、成績評価表、伝習新聞等は提出されなかつた関係もあつて同日の調査結果は不十分に終つた。

そこで教育庁は伝習館高校へ出向いての実態調査は円滑な実施が困難であると判断しその後、内田校長から関係諸帳簿の提出を得てその調査分析を行なつた。その提出書類は三月一七日調査において要求した書類(学級日誌を除く)が全部提出されたほか伝習新聞、クラブ活動に使われたパンフレツト類、試験問題成績評価表等も提出された。最後までその提出について難色を示していた学級日誌は、四月に入つて田中栄教諭を通じて五名の教諭の協力によつて五冊ぐらい教育庁に提出されることとなつた。(この段階において原告らに対する本件処分の証拠書類は殆んど出揃つたことになる。)

(六)  森課長補佐ほか二名は昭和四五年四月二一日から三日間にわたり瓜生次長の指示に基づき原告ら三教諭の教育活動の実態調査を主目的とし、その対象を柳川市在住の卒業生或いは在校生で、原告ら三教諭の担当する授業を受講した者に限定して事情を聴取することとなつた。右の調査にあたつては、教育庁の取り調べに全面的に協力していた前記田中栄教諭が自己のかつて担任であつた三年二組と三組の卒業生のうち電話連絡しうる者一〇名を選んで教育庁職員に紹介し、そのうち約六ないし七名から氏名を明かさないことの条件付で原告ら三教諭の教科書使用の実態、試験問題、講議内容等教育活動全般について事情聴取した。

その後五月一三日から一六日にわたり斉藤人事管理主事ほか五名の教育庁職員は前記同様の目的で父兄並びに生徒あわせて一五名ぐらいから事情聴取したのち、同年五月二〇日付で右一連の調査結果を森、大鶴、斉藤、村上、今宮、安部の連署で吉久教育長に報告した。

そこで吉久教育長は、文部省高校教育課に数回指導を仰いだうえ原告ら三教諭につき被告県教育委員会に対し懲戒免職の意見を付して提案した結果右処分について同委員会も異論なく原告ら三教諭の弁解を聴取する必要なしとの結論を得たので事前の聴聞を行うことなく昭和四五年六月六日付で原告ら主張の如く原告ら三教諭を懲戒免職しその旨原告らに通告した。

以上認定の事実を覆えすに足る証拠はない。

三本件処分の特色

被告福岡県教育委員会は、本件処分にあたり前認定の手段によつて対象事項の証拠資料を収集した結果原告らに対する事前聴聞の機会を与えることなく、いずれも懲戒免職を行なつた。原告らはいずれも伝習館高校の社会科担当の教諭であつたところ本件処分は主として原告らの日常の教育活動自体を対象としている。右対象事由を被告の処分理由に従つて分類すると次の如き事項からなつている。

特別教育活動に関する事項、即ち伝習館高校新聞部発行の伝習新聞及び同校演劇部発行の公演パンフレツトヘの寄稿文の内容並びに教科、科目の課程に関する事項中授業の内容、方法、試験問題等

教科、科目の教授課程に関する事項中教科書使用の有無及び使用形態等

教科、科目の教授課程に関する事項中考査実施の有無及び評定の方法等

生徒に対する指導監督の懈怠、恣意的教育、校長の許可なく学校施設の利用その他

右対象事由は高等学校学習指導要領違反、同は教科書使用義務違反、同は福岡県教育委員会規則に基く伝習館高校長の定めた校務運営内規違反、同のうち学校施設の利用については福岡県教育委員会規則違反にそれぞれ処分の根拠を求めている。

これに対し原告らは対象事由は、教師に教育の自由があるとし教育内容については国家が教育内容に介入できないこと即ち文部大臣の作成した高等学校学習指導要領の法的拘束力を否定し、少なくともこれを根拠として本件処分を基礎づけることはできない旨主張する。

従つてここでは学習指導要領の法的拘束力の有無が問題となりひいては憲法上の教育を受ける権利、学問の自由、教育基本法一〇条等わが国の教育法制そのものの検討が要求されよう。

対象事由については原告らは教科書使用義務の存在を否定しつゝ仮りに使用義務があるとしても原告らはいずれも担当教科の授業において教科書を使用したと主張する。

従つてここでは教科書使用義務の有無及び使用の法的意味が問われることとなる。しかして検定済教科書は学習指導要領に準拠して検定される仕組になつている関係上、教科書使用の問題は一面では学習指導要領に関連し、他面では教師の教育活動に直接関連を有し現場教師の教育内容、方法等を規制する問題を包含するものである。

対象事由は校長の定めた校務運営内規の存否その他考査を義務づける根拠規定の存否並びに評定方法等が争点となる。同の学校施設の利用の点についてはその根拠規定の解釈等が問題となりうる。

以上概観したとおり本件処分は教育内容そのものを対象としていることからいずれの処分事由も直接あるいは間接に高等学校学習指導要領と深くかかわりを有し、反面教育の自主性との調和を考慮すべきところに本件処分の特色がある。

なお原告らに対する各処分事由はそれぞれ異なるが以上下便宜上右分類の順序に従つて検討する。

第二学習指導要領と原告ら三教諭の教育活動

一学習指導要領の法的性格について

(一)  学習指導要領の概観

高等学校学習指導要領は文部大臣が学校教育法第四三条、第一〇六条、同法施行規則第五七条の二に基づき、高等学校の教育課程の基準としてこれを定め文部省告示をもつて公示したものである。〈証拠〉によると、本件処分に適用されたのは昭和三五年一〇月一五日文部省告示第九四号として告示されたものである(以下本件学習指導要領という)

学習指導要領は昭和二二年文部省によつて作成頒布され今日まで数回にわたる改訂が行なわれている。そのうち、高等学校学習指導要領は昭和三五年一〇月一五日文部省令一六号によつて学校教育施行規則の一部が改正され、改正後の第五七条の二では「高等学校の教育課程については、この章に定めるものの外、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとする。」と規定された。

原告らは昭和二二年当初の学習指導要領は勿論昭和二六年改訂版においても学習指導要領は手引書、参考書の域を出るものでなかつたのに右施行規則の一部改正に伴い本件学習指導要領が文部省告示の形式で公示されたからといつて、当然に法規となるものではないと主張する。たしかに告示とは、公示を必要とする行政措置の公示の形式であり(国家行政組織法一四条一項)訓令または通達とは行政官庁が所管の諸機関および職員に対してなす命令または示達の形式であり(国家行政組織法一四条二項)一般的には法規命令の性格をもたないが、たゞこれらの行政規則の形式をとつていても実質的には法規の補充として、それ自身法規たる意味をもつものもある。

したがつて学習指導要領が「文部省告示」の形式をとつたことから法規命令となり法的拘束力が付与されたと主張するのは正当でないと同時に「文部省告示」という形式をとつたことのみを理由として法規命令でないとすることも誤りである。

したがつてこのような形式論からみる限り、本件学習指導要領は法律、省令、告示の順序で順次上位の法を補充する形式をとつているので法規命令たる性格をもつことが可能である。しかし本件学習指導要領に記載されている事項のいづれが法規命令たる性格を有するかは実体に即して具体的な検証を経なければならない。

次に本件学習指導要領の内容について概観すると、第一章総則第二章各数科、科目第三章特別教育活動及び学校行事等からなつている。第一章総則においては第一節教育課程の編成、第二節全日制の課程および定時制の課程における教育課程、第三節通信教育における教育課程に細分されている。そして第一節一款では一般方針として1学校教育法施行規則五七条の規定を再録し、2学校においては、教育基本法、学校教育法および同施行規則、高等学校通信教育規程、高等学校学習指導要領、教育委員会規則等に示すところに従い、地域や学校の実態を考慮し、学校におかれた各課程および各学科の特色を生かした教育ができるように配慮して、生徒の能力、適正、進路等に応じて適切な教育を行なうことができるように教育課程を編成するものとする、と規定されている。

第二款では、学校教育法施行規則によつて定められた各教科と各教科に属する科目についての標準単位数が定められ第三款では特別教育活動として、ホームルーム、生徒会活動およびクラブ活動を実施するものとし、ホームルームに充てる授業時数の標準が定められている。

第二節では第一款各教科、科目の履修として、すべての生徒に修得させる教科、科目とか普通科の生徒に履修させる教科、科目とか職業教育を主とする学科の生徒に履修させる教科、科目及びその単位数等その他について定められている。第二款特別教育活動及び学校行事等、第三款単位の修得の認定、第四款卒業に必要な単位数および授業時数、第五款教育課程編成上の留意事項、第六款指導計画作成および指導の一般方針、第七款道徳教育についてそれぞれ定められている。

右道徳教育では、「学校における道徳教育は、本来、学校の教育活動全体を通じて行なうことを基本とする。したがつて、各教科、科目、特別教育活動および学校行事等の学校教育のあらゆる機会に、下記の目標に従つて、道徳性を高める指導が行なわれなければならない。

道徳教育は、教育基本法および学校教育法に定められた教育の根本精神に基く。すなわち、人間尊重の精神を一貫して失わず、その精神を家庭、学校、その他各自がその一員であるそれぞれの社会の具体的な生活の中に生かし、個性豊かな文化の創造、民主的な国家および社会の発展に努め、進んで平和的な国際社会に貢献できる日本人を育成することを目標とする。」と規定されている。

第二章各教科、科目では、それぞれ各教科の目標として数項目を掲け、各科目については、その科目の目標を数項目掲げ、その科目の内容としてかなり詳細な規定がなされ、最後に指導計画作成および指導上の留意事項が列挙されている。

例えば「倫理・社会」では、その内容の項に、二単位を標準とし、全日制の課程にあつては第二学年、定時制の課程にあつてはこれに相応する学年において履修させることを前提として作成したものである。また指導計画作成および指導上の留意事項(9)には、政治および宗教に関する事項の取り扱いについては、教育基本法第八条および第九条の規定に基づき、適切に行なうよう特に慎重な配慮をしなければならない、と規定され、同趣旨の規定は「政治・経済」の留意事項(5)にもある。(政治に関する事項について)

本件学習指導要領が以上概観した如く、高等学校における教育課程全般を規定していることから、原告らは学校教育法第四三条の「教科に関する事項」を「学校制度的基準」と解し、同条項は「教科に関する事項」について同法施行規則に細目を委任したものであるが、同施行規則の再委任に基いて制定された学習指導要領では、単に右の「教科に関する事項」に限らず、これを含めて、道徳、特別教育活動、学校行事などにまで及ぶ教科教育内容を規制しているから本件学習指導要領は右委任の範囲を越えていると主張する。

しかし学校教育法および同法施行規則の法文解釈上、「教科」は「教育課程」と同義語と解釈すべきであり、右教科に関する事育という法文が当然に原告ら主張のごとく限定的な文理をもつているとはいえない。

すなわち学校教育法制定当時(昭和二二年三月三一日制定)すでに「教科」という語は「教育課程」と同じ意義で用いられ(同法第二〇条、第一七条、第一八条、第三八条、第三五条、第三六条、第四三条、第四一条、第四二条参照)、またこれをうけて学校教育法制定当時の同法施行規則でも第二章小学校の第二節教科という節の名のもとに教科の名称(二四条)教科課程、教科内容およびその取扱いの基準(二五条)児童の心身の状況に適合するような教科の取扱い(二六条)課程の修了、卒業の認定(二七条)卒業証書の授与(二八条)教科用図書(二九条)というような教育活動に関する広範な事項を規定していたことからも、「教科」という文言は学校教育法体系においては、教科目としての意味でなく今日の「教育課程」と同義語に使用されていたのであるからこの点に関する原告らの主張は採用できない。

(二)  教育課程の国家基準設定の限界

1 憲法上、国が生徒の教育内容を決定する権能を有するかにつき検討する。

学問の自由を保障した憲法二三条は、高等な学術研究機関で行なわれるものに限らず、すべての教育機関に保障されているが、このことから直ちに高等学校以下の教育機関においても、学校において現実に教育の任にあたる教師は教授の自由を有し、公権力による教育内容への介入を受けないで自由に教育内容を決定することができるとは考えられない。

大学教育の場において学問の自由のうちに教授の自由を含むと解し得ることについては異論がない。これは学生がすでに高等普通教育の課程を修了したものであつて一応、教授内容を批判する能力を具備しているとの前提に立脚しているからに他ならない。

これに対し高等学校以下の普通教育では、児童、生徒に右のような批判能力が乏しいうえ、子どもの側から学校や教師を選択する余地も乏しく、また教師の教授内容そのものが児童、生徒に対し強い影響力、支配力を及ぼしうる。またとくに普通教育では教育の機会等の確保のため、どの地域にあつても、いずれの学校にあつても全国的に一定の水準を維持することが要請される。このことから高等学校以下の各学校においては、教育内容(教授方法を含む)についても、右目的実現のために公権力による規制が必要かつ要請されることともなり、これは必らずしも学問の自由と矛盾するものではない。

しかし右のことは普通教育において公権力による特定の意見のみを、教師が教授することを強制されうることを是認しうる意味を含むものではない。本来教育が、生徒と教師との間に展開されるものであつて各生徒の能力性格等その個性に応じて行なわれまた教師の人格的影響等教育の特性に鑑みれば、教師が具体的な授業の展開にあたつて教授の具体的内容及び方法につき一定範囲で教授の自由がなければ教育の存在する基盤を失なつてしまう。しかし右教授の自由は教育の本質に基づく教育条理として認めうることであつて憲法上の「学問の自由」の保障の解釈として肯定されるのではないと考える。

次に憲法第二六条は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め二項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育はこれを無償とする。」と定めている。右規定はいわゆる社会的基本権といわれるものであつて国が積極的に、教育に関する諸施設を設置し、国民の利用に供する責務を負うこと、教育の機会均等を国民の権利として保障する旨を明らかにし、児童、生徒に対する基礎的教育である普通教育の必要性から保護者に対し、その子女に普通教育を受けさせる義務を課し、義務教育の費用を国において負担すべきことを宣言したものである。

教育基本法第一条を参照しつつ考えるとこの規定(憲法第二六条)には、すべての国民、とくに児童、生徒が人間的に成長、発達し自己の人格を完成し、平和的な国家及び社会の形成者として自主的精神に充ちた国民となるに必要な学習をする権利を有するとの観念が存在しているものと考えられる。従つて子どもの教育は、児童、生徒の右権利を充足しうる立場にある者換言すれば児童生徒の保護者、教師、学校、地方公共団体、国等の責務に属するものと考えられるが、そのうち教師のみが教育内容及び方法を決定する権能があるとの結論を導くことはできない。

すなわち右条文だけから児童生徒に対する教育内容を誰が決定することができるかという問題に対する解答は示されてはいない。

また憲法第一九条では「思想及び良心の自由」第二〇条では「信教の自由」第二一条で「表現の自由」等が保障されているがこれらの規定から直ちに教師の教育内容決定権能の存在を導き出すことができないのは、さきにこれらのいわば特別法たる学問の自由について述べたところから理解される。

次に、憲法上国に教育内容の決定権能があるか否かについて見る。

教育が教師と生徒との間に展開される個人的な精神的交渉の側面があることは否定できないが、公教育は、単にこれにとどまらず社会公共的な要素をもち国や地方公共団体の利害にも大きな関係を有するものである。憲法第二六条によつて国は前述のとおり責務を負い、その教育上の責務を実現するため法律によつて学校制度を設備し、教育上の施設を整え、広く適切な教育政策を樹立し実施しうるものとして、憲法上は、あるいは児童生徒自身の利益の擁護のため、あるいはその成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解する。

しかし憲法の採用する議会制民主々義の下では国民の教育意思は国会の制定する法律制定を通じて具体化されるのであるが、政党政治に基づく多数決原理によつてなされる国政上の意思決定はもろもろの政治的要因によつて左右されがちであるから教育内容及び方法等についての国の介入は、これらについて十分な配慮を行つた大綱的基準の設定にとどめることが要請される。しかしこのことは生徒の教育内容に対する国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する根拠とはならない。

2 教育基本法上、教育と教育行政に関する規制について。

教育基本法前文では、憲法の精神にのつとり民主的で文化国家を建設し世界の平和と人類の福祉に貢献するという理想の実現は根本的には教育の力にまつべきものとの認識に立つて、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的でしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及すべきことが今後における教育の基本理念であるとしている。教育基本法前文及び各条項の内容からみて、同法は、憲法において教育のあり方を定めることに代えてわが国の教育及び教育制度全体を通じる基本原理を宣明したものであつて、他の教育関係諸立法の中で中心的地位を占めるものであることは明らかである。従つて同法の規定は形式的には他の教育関係法規と同列であつて同法と矛盾する他の法規を無効とする効力はないが、実質的には教育法の中の根本法として一般に教育関係法令の解釈及び運用にあたつては法律自体に別段の定がない限り、教育基本法の目的趣旨に適合するよう考慮される必要がある。

教育基本法一条は教育の目的を規定している。すなわち、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期することにある。

本来教育は、人間の内面的価値に関する文化的営為の側面があるから「法律」によつて教育の内容を規制する場合、党派的な観念を盛り込んだり、党派的な利害によつて左右されるべきものではないから教育内容に対する国家的介入はできる限り抑制的かつ慎重さを要請される。

教育基本法第一条は、憲法のよつて立つ人類普遍の原理として価値の多元性を容認したうえでの、教育目的であると解釈されるし、教育条理としての「教育の自由」をその前提として規定されたものと解される。換言すれば、教育基本法第一条に規定する教育目的を実現するためには教師の行う教育活動、ことに教育内容及び教育方法については教師の自主性が尊重されなければならないことを示しているものといえる。

更に同法第二条では、教育目的達成のためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならないと定められている。

次に教育基本法第一〇条について検討する。

同条は教育と教育行政との関係についての基本原理を明らかにした重要な規定であるところ一項で「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行わるべきものである。」と定め、二項で「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない。」と定めている。

同条一項の「不当な支配」には教育行政機関が法令に基づいて行政を行なう場合にも適用されることがあることは最高裁判所昭和四三年(あ)第一六一四号同五一年五月二一日大法廷判決においても明らかである。

すなわち、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここにいう「不当な支配」となりえないことは明らかであるが、前に述べたように、他の教育関係法律は教育基本法の規定及び同法の趣旨、目的に反しないように解釈されなければならないのであるから、教育行政機関がこれらの法律を適用する場合においても、当該法律規定が特定的に命じていることを執行する場合をのぞき、教育基本法第一〇条一項にいう「不当な支配」とならないように配慮しなければならない拘束を受けているものと解されるのであり、その意味において、教育基本法第一〇条一項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるものといわなければならない。

同条二項の解釈につき、原告らは、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立とは、主として教育施設の設置管理、教員配置等のいわゆる教育の外的事項に関するものを指し、教育内容及び方法等いわゆる内的事項については、学校教育法の委任に基づき文部大臣が定める学習指導要領でもつては規制をなし得ないものである旨主張する。

しかし教育基本法第一〇条二項が、教育内容及び方法については、他の法律またはこれに基づく命令によつては規制をなし得ないこと、つまり国会が同法においてこのような権限の行使を自己限定したものと解すべき根拠はない。

教育基本法第一〇条は、たしかに戦前教育の中央集権的な過度の統制による形式的、画一的、国家主義的な傾向に対する反省ないしこれらの弊害を除去すべきものとの視点から出発したものであり、かつ教育が、教師と生徒との間の直接的な人格的接触を通じ生徒の個性に応じて弾力的に行なわなければならず、そこには必然的に教師の自由な創意と工夫の余地が要請されることに思いをいたすとき、同条が教育内容及び方法等につき、その規制にあたつては、教師の教育内容活動についてはその自主性を尊重すべきことを要請していることは明らかである。

結局、教育基本法第一〇条は、国の教育内容及び教育方法に関する介入を全く拒否することを前提としているわけではないが、教育行政の目標を教育の目的の遂行に必要な諸条件の整備確立におき、その整備確立のための措置を講ずるにあたつては、教育に対する戦前の過度の国家権力の介入に対する反省、教育の自主性尊重の見地から、これに対する「不当な支配」となることのないようにすべき旨の限定を付したところにその意味があり、したがつて教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるが、許容される目的のために必要かつ合理的と認められるそれは、たとえ教育の内容及び方法に関するものであつても同条の禁止するところではない、と解するのが、相当である。

3 本件学習指導要領の法的拘束力について。

まず「教育課程の基準として文部大臣が別に公示する学習指導要領」(学校教育法施行規則第五七条の二)という場合の「教育課程の」基準とは、教育課程の編成及び実施の両方の基準であると解されるが右の「基準」の意味は必ずしも明瞭ではない。

本件学習指導要領はさきに概観したとおり教育課程全般にわたつて規定され、なかでも教科、科目の教育内容及び指導上の留意点などかなり詳細な点にまで及んでいるが、これらの各条項の効力、即ち教師がこれに違反した場合の効果については何らの説明がなされていない。

原告ら主張の如く、教育内容及び方法についての規定中、学校制度的な大綱的基準を越える部分は、単なる指導助言文書に過ぎないと見れば、これらの条項に違反しても、少なくとも懲戒処分の対象とはなり得ないであろう。

またこれとは反対に被告主張のごとく、本件学習指導要領は法的根拠をもつて文部大臣が制定したもので法規命令たる性格をもつとみれば、学習指導要領のすべての条項についてこれに違反した場合には地方公務員法第三二条により法令に従う義務に違反したこととなり同法第二九条一項二号に該当し懲戒処分の対象となりうる。

そこで本件学習指導要領は、果たしてどのような法的性格を有するかを確定する必要に迫まられる。この際、三通りの解釈が可能であるように思われる。その一つは学習指導要領のすべての条項が法的規範のないもの(指導助言文書)、その二はすべての条項が法的規範を有するもの(法的拘束力ある規定)、その三は法的拘束力のある条項と指導助言文書たる条項とに分けるもの、である。

前述の憲法及び教育基本限の解釈において示した教育内容及び方法に対する規制の限界を、再度要約すると、それは教育基本法第一〇条による教師の教育の自主性を尊重し、教育現場で教師が創意と工夫を発揮し生徒の個性に応じた弾力性ある教育を損わない範囲内において、教育における機会的均等の確保と、全国的な一定の教育水準の維持の必要性を充足すべき基準たるべきであると抽象的に云い得るが、現行教育法制は地方分権の原則が採用されているところから教育に関する地方自治の原則を考慮し、これを侵害することは許されない。

右の規制原理を調和的に解釈し、本件学習指導要領の基準性に照らして考慮するとき、右の「基準」とはさきに示したその三の解釈を正当と考える。即ち本件学習指導要領の条項中には強行規定に相当する部分がありこれについては法的拘束力があり前記の趣旨での法的制裁が及ぶがその余の条項は訓示規定として法的制裁が及ばないと解される。また本件学習指導要領には教育基本法、学校教育法及び省令を再録した部分もあり(例えば前記倫理社会の3、指導計画作成および指導上の留意事項の(9))学習指導要領によつて新たに創設された規定もある。

そこで本件学習指導要領中どの規定が法的拘束力があるかについて本件事案の解決に必要な限度で検討する。

まず教育課程の構成要素、各教科、科目及びその単位数、高等学校卒業に必要な単位数及び授業時数、単位修得の認定等いわば学校制度に関連する教育課程の規制に関する条項について法的拘束力があることは疑いない。

本件学習指導要領第一章第二節第七款に道徳教育の項がありその文言は「(一)学習指導要領の概観」において述べたとおりである。

右道徳教育の目標とするところは、同条項に記載のとおり教育基本法及び学校教育法に定めた教育の根本精神に基づいている。そしてその文言からも教育基本法前文第一、二条の趣旨を再録したものと考えられる。たゞここでは、道徳教育が単なる道徳に関する知的な理解や判断にとどまるものではなく、道徳的な実践力となつて現われてくるような指導を、各教科、科目、特別教育活動及び教育行事等のあらゆる機会に行われることを基本として規定されている。そして道徳の内容そのものについては人間尊重の精神を具体的な生活の場で活かし、個性豊かな文化の創造、民主的な国家及び社会の発展に努めること、平和的な国民を育成することを目標として指導すべきことが示されている。その「道徳」とされる内容自体、憲法、教育基本法の理念に適合し、教育の場でその理念を生かしうるよう生徒に指導すべきことが要請されている。

従つて「道徳教育」の条項は教育の機会均等の確保並びに教育水準の維持の視点からよりも教育基本法第一条の理念の実現の方法という観点から検討されるべき問題であろう。

こゝで注意すべきは、右道徳の内容となるものは、人間尊重の精神とか、民主的な国家及び社会の発展に努めるとかの抽象的な概念であり、教師の学校内のあらゆる教育活動に及ぶことから教師の教育の自主性尊重の原理を阻害するおそれもあるから、もし法的拘束力を認めるとすれば教育行政機関がこれを適用する場合には特に慎重な考慮が払われなければならない。教師の授業活動における一言半句或いは特別教育活動の一端をとらえて「道徳教育」に反するとしてこれを強制するときは却つて教育基本法第一〇条に違反する結果となる場合があるからである。

次に各教科、科目に掲げられた目標は概して当該科目について教育運営の指針を定めた規定であると解される。いまこれを社会科の各科目の「目標」について通覧するに、その内容自体は教師の自主性や地方自治の原則を侵害するようなものは含まれてないと考えられるが、それらの規定は教師が当該科目を教育する際の大まかな指針を列挙したものであるが抽象的かつ多義的であつてこれを教師に法的拘束力をもつて強制することは適切でない。したがつてこれらの指針に適合しない行為があつた場合に、ただちに法令違反とすることはできない。

社会科、各科目「内容」はどのように解すべきであろうか。

例えば本件学習指導要領の、倫理、社会の「内容」には、「以下に示す倫理、社会の内容は、二単位を標準とし、全日制の課程にあつては第二学年、定時制の課程にあつてはこれに相応する学年において履修させることを前提として作成したものである。」と記されたうえ三項目にわたつて「倫理、社会」の教育内容が記されていることからみると当該科目の教育内容の範囲と程度の大綱について規定されたものである、ということができる。

これら「内容」に関する規定は教育の機会均等の確保並びに高校における一定の教育水準の維持の見地から規定されたものであるが、その全てにわたつて必らず生徒に履修させることを要求しているものと解するならば、他面教師の教育の自主性との間に矛盾、衝突をきたすことがあるのを避けられない。

たとえば証人川原英雄、同塩山雅之の各証言によると、実業高校や高等学校の定時制課程においては、生徒のいわゆる学力水準が低いため教授にあたつて高校で要求される教育水準をそのままの形で維持することが困難でやむなく低学力対策としての教育課程の編成を余儀なくされていることが認められる。このように本件学習指導要領の各教科の「内容」を高校によつてはそのまま教育現場に持ち込むことが困難な場合を想定すると、右の「内容」を考慮しつゝ現場教師の創意と工夫によつてこれが達成に努めるべきではあつても、右「内容」より知識伝達の観点のみからいえば、いわば「程度の低い教育」を余儀なくされたことをもつて法令違反となし得ないことは明らかである。また本件学習指導要領の政治、経済の「内容」には(1)日本の政治、(2)日本の経済、(3)労働関係、社会福祉、(4)国際関係と国際協力の項目があり各項目には詳細な内容が記されている。

かりにこれらの項目の中あるものを欠落するか、あるいは右「内容」に含まれていない事項を付加して教育した場合は、果たしてどのような法的効果があるのか。倫理、社会、或いは政治、経済の科目の「内容」の範囲ならびに程度はかなり幅のあるものと考えざるを得ないが、それにしても明確な一線を画すること自体困難であろう。

教師は当該教科について資格を有する専門家であるからこれら教科の教育「内容」については学習指導要領を参考としつつ各学校、各生徒の能力等を考慮しながら現実に即した適切な教育をするほかない。換言すれば各教科の「内容」の実現は法的拘束力をもつて教師を強制するには適しないし望ましいものでもない。このような訳で右「内容」は訓示規定と解するのが相当である。しかし訓示規定があるからといつて教師がこれを不問に付してよいというのでは勿論なく、むしろこれが遵守は基本的には教師の自律的判断に期するところ大であるが、なおこれが不遵守に対しては指導助言の対象となり、その指導助言に教師が従わないときに場合によつては「勤務成績が良くない」とか「その職に必要な適格性を欠く場合」に該当し分限の対象とはなり得よう。

社会科の各科目の指導計画作成上及び指導上の留意事項は概して指導助言事項として訓示規定であるといえる。

もつとも、倫理、社会及び政治経済の右留意事項中には教育基本法第八条、第九条等の再録した部分のあることは前述のとおりであり、これは注意的には規定したものであろう。

二原告ら三教諭の教育活動

(一)  原告茅嶋の特別教育活動

1 原告茅嶋が昭和四三年及び同四四年度において伝習館高校の演劇部主任として同部の生徒を指導助言すべき地位にあつたこと、同演劇部の活動が本件学習指導要領に定められた特別教育活動の一環としてのクラブ活動であること、昭和四三年一〇月五日及び六日の両日、伝習館高校の学校行事として実施された文化祭において同演劇部が「雨は涙か溜め息か」という演劇を公演した際に同部主任の立場でその公演パンフレツトに「夢幻の呪詛」と題する一文(その内容は別紙一のとおり)を署名入りで寄稿掲載されたことは、いずれも当事者間に争いがない。

〈証拠〉によると、同演劇部の活動は一年に、春秋の二回にわたる校内公演が主なものであつたところ、一つの公演を実現するためには部員は数ケ月前から脚本選定を行ない部員全体の討議を経てこれを決定し、脚本の内容分析を行ない劇の演出、キヤスト、スタツフ等を互選し練習に入る。「雨は涙か溜め息か」という劇の脚本は前年度卒業生が執筆したものに部員全員が手を加えて脚色した創作であつた。右公演パンフレツトは部員中からパンフレツト委員が選任され、他の部員も手伝つて同部が自主的に作成したものである。同パンフレツトは公演当日、講堂の入口で公演見物者である伝習館高校生徒、同教師、一般市民、他高校生徒等約八〇〇名位に配布されたことを認めることができ右認定に反する証拠はない。

2 原告茅嶋が昭和四四年度、伝習館高校の新聞部顧問の地位にあつたこと、「伝習新聞」第一〇〇号(昭和四四年四月九日発行)に「老いているであろう新人生諸君」と題する一文(別紙二記載のとおり)を署名入りで同第一〇三号(同年六月三日発行)に「想像力が権力を奪う」と題する一文(別紙三記載のとおり)をそれぞれ寄稿したことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によると、伝習館高校の新聞部には、昭和四四年当時、主任は尋木教諭、副主任は大庭教師がおり同部の活動について指導助言する立場にあつた。同部は一年に四回ないし五回にわたつて「伝習新聞」を発行し、これを同校の全生徒に配布していたが他にも学校内における各クラブ間の討論会、父兄と教師と生徒との座談会等を企画主催しまた全国の高校新聞部との交流を行なう等の活動をしていた。

各号の薪聞を発行する手順は、部員全体で編集会議を開き、同会議において新聞の体裁(タブロイドかブラケツトか)、特集、記事の割当、担当等を決め、その後各部員は取材活動、寄稿依頼、記事の整理、印刷、校正、発行に至る。前記担当教諭は、右新聞の発行に至る過程で指導、助言はするが部員全体の自主的な運営であつた。原告茅嶋は新聞部からの寄稿に応じたことが数回あるにとどまりその他の同部の活動に積極的に参加したことはない。

「伝習新聞」第一〇〇号は、昭和四四年度に伝習館高校に入学した新入生歓迎の特集号として発行された。しかしその趣旨は、トツプの見出に「安閑とできない高校生活」、リードに「新入生、あなたたちが入つて来る伝習館にはいろいろな問題があります。現状を示すことによつて問題を把握して下さい。」と掲げ、同校内における諸問題例えば生徒の制服問題、能力別クラス編成問題、コース制(就職クラス、進学クラスの区別)体育祭、文化祭での生徒の自主的な取り組みの問題等が取り上げられ、同校の実情を新入生に紹介し、これらの諸問題について一緒に考えようというものであつた。

同部は編集会議で右特集号発行を決定するとともに原告茅嶋にも寄稿依頼することを決定し、前記趣旨を同人に説明してその寄稿を依頼した。原告茅嶋は右依頼に応じて寄稿掲載されたものが、前記の「老いているであろう新入生諸君」と題する一文である。

また同部は、当時「伝習新聞」にコラムを設けて時事解説をシリーズものにして第一〇二号では時事解説「パリ」を掲載した。そこで編集会議は当時マスコミをにぎあわせていたフランスのいわゆる五月革命、とりわけ学生運動の思想に関する紹介記事を原告茅嶋に依頼した。同人は自己の主観や或いは概念的説明よりも、当時の学生の生まの言葉自体の方がより真実を伝えることができるとの考えに立つて、その旨同部に伝えたうえフランスの学生運動の参加者が敷石や壁に書きつけた言葉を編集した「壁は語る―学生はこう考える。」(J、ブザンソン編竹内書店刊)を資料にして右資料の中の言葉を引用、列挙し一文を構成したものが前記「想像力が権力を奪う」の一文である。

もつとも右記事では見出しで「想像力が権力を奪う、茅崎洋一」となつていて誤字があるが原稿では右氏名はなく一番最後に「構成責茅嶋洋一」となつていたが新聞部員の卒業による部員の交替によつて間違つたものと認められる。以上認定の事実を覆えすに足りる証拠はない。

3 昭和四五年二月一〇日、原告茅嶋が勤務時間中(放課後)に「国家幻想の破砕を」と題するビラ(別紙四のとおり)を(伝習館高校の教師数人とともに)作成、印刷し、同日午後四時ごろ同校内において生徒らに配布したことは当事者間に争いがない。

証人箱田尚敬、同加藤治雄の各証言並びに原告茅嶋本人尋問の結果によると、同年二月一一日は建国記念日であつて休業日であるが、原告茅嶋ほか同校教諭有志は同日伝習館高校の会議室で同校生徒有志と「建国記念日」の歴史学的な評価と国家意識について討論会を開催した。右討論会には原告茅嶋ほか箱田、深見、荒尾各教諭と生徒五〇ないし六〇名が参加し、「建国記念日」の歴史的評価については原告半田が作成した資料を配布して検討したほか原告茅嶋が国家意識について講演しこれに関し参加者で質疑したり検討がなされた。右のような討論会は昭和四二年ころから継続して行なわれていたが、昭和四五年度は、福岡県高教組の伝習館分会々議で教育研究運動の一環として支援はしていたものの右討論集会は右組合活動として行なわれたものではなくあくまでも同校教論の自主的な教育活動として行なわれたものでありまた右討論会への参加の呼びかけも強制的なものではなく、生徒の参加も自主的なものであつた。なお同校会議室の使用については同校々長の許可を受けてはいない。以上の事実を認定できこれを覆えすに足る証拠はない。

(二)  原告半田の担当教科に於る教育活動

1 原告半田が昭和四四年度に伝習館高校の三年生の日本史の授業を担当し、日本史の授業の当初に数時間にわたり毛沢東の思想やマルクスに関する授業を行なつたこと、そして同年度一学期の三年生の中間試験において「社会主義社会における階級闘争について述べよ」「次の二題(テーマ)のうち一題を任意に選び論述せよ。スターリン思想とその批判。毛沢東思想とその批判。」という試験問題を出したことは当事者聞に争いがない。

被告は、日本史の右試験問題は本件学習指導要領の日本史の目標と関連がないと主張し、原告らは試験問題から授業内容を推測する方法自体誤りであるとし具体的に原告半田の日本史の授業内容を主張、立証するので、右試験問題に関連する限度でその授業内容につき検討する。

〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができる。

前記日本史の中間試験は、同年五月三〇日に実施されたものであるが、右試験問題は日本史試験問題の一部に過ぎないのでその全試験問題についてみると、次のとおりであつた。

〔Ⅰ〕 日本の原始、古代社会における土地、身分制度について論述せよ。

〔Ⅱ〕 律令体制下における唐と日本との相関関係について述べよ。

〔Ⅲ〕 讖緯説との関連において建国記念日を論ぜよ。

〔Ⅳ〕 社会主義社会における階級闘争について述べよ。

〔Ⅴ〕 次の二題(テーマ)のうち一題を任意に選び論述せよ。

A Stalin思想とその批判。

B 毛沢東思想とその批判。

右試験問題の〔Ⅳ〕、〔Ⅴ〕に対応する授業は、原告半田の歴史観と昭和四四年二月一五日福岡県高等学校社会科部会における九州大学名誉教授具島兼三郎氏の講演「社会主義社会における階級闘争」を同原告が受講しこれに示唆されたことに関連する。

すなわち原告半田は、前記三年生の日本史の授業開始にあたり歴史観の重要性に鑑み、時代区分論の説明をした。右時代区分法として政権所在地によるもの、支配者の交替に着眼したもの、歴史の変化、発展を社会構成体の継起的交替とみる唯物史観等があること、これらの時代区分論は歴史観の具体的な表現にほかならないとして更に唯物史観の批判にも及んだ。

そして原告半田の唯物史観に対する考え方、即ち「唯物史観の現実的展開である社会主義国家群そのものが矛盾に満ちたもので決して唯一絶対の正しい理論に沿つた歴史が展開されているわけではない」との観点に立つて現在の社会主義国家であるソ連や中国の指導者の思想や経済基盤、ソ連の計画経済、スターリン憲法、スターリンからフルシチヨフさらにブレジネフにいたる過程、ユーゴのソ連からの離反、チエコ事件、また中国については一九四九年の中華人民共和国の成立から一九六二年〜六六年の文化大革命に至る経過の概路について授業をした。右授業を受講した生徒も右〔Ⅳ〕〔Ⅴ〕の試験問題と授業との関連を肯定しているが、生徒の一部には、日本史の試験問題として右〔Ⅳ〕〔Ⅴ〕が出たことを全く予想外として受けとめたものもあり、社会主義国家における指導者等の思想や国際問題はいわば時代区分論、歴史観の説明との関連におけるいわば雑談的なものであると受けとめていた者もあつた。以上認定の事実を覆えすに足りる証拠はない。

およそ歴史学を研究する者にとつて歴史観が重要な意味をもち、日本の歴史についてそれぞれの時代をどのように区分し特色ずけこれを構成するかは各歴史学者の歴史観に影響するところが大きいことは否定できない。法的拘束力の点はともかく本件学習指導要領の日本史の目標(2)は、日本史における各時代の政治、経済、文化などの動向を総合的にとらえさせて、時代の性格を明らかにし、その歴史的意義を考察させる。と規定されており右考察の前提として歴史観及び時代区分論の学習も意義あることは明らかである。

また日本史の目標(5)では日本史の発展を常に世界的視野に立つて考察させ、世界におけるわが国の地位や、文化の伝統とその特質を理解させることによつて、国際社会において日本人の果すべき役割について自覚させる。と規定され成立に争いのない乙第四二号証(日本史の教科書)でも現代の項で中華人民共和国の成立をめぐつて毛沢東について触れ、「国際状勢の推移」の項で反ソ暴動や中ソ論争、さらに文化大革命等について叙述されている。しかし右はあくまで日本の現代史を学ぶ際の、世界的視野に立つ考察として叙述されていることも明らかである。

原告半田が、歴史観及び時代区分論の授業において唯物史観を歴史学界における有力な学説の一つとして説明すること自体は高校における日本史の目標、内容からみて、日本史の前記「目標」に抵触するとは言えないであろう。しかし証人佐藤照雄の証言にあるように、高校における日本史は、政治や経済あるいは思想の各部門のみを歴史的対象とするのではなく日本史の通史として日本の歴史の全体像を把握するものであつて、しかも本件学習指導要領の日本史の「内容」及び日本史の教科書も日本の文化を中心として叙述されている。また歴史観及び時代区分論においても、大学教育等高度な研究機関でない高校の日本史の教育では生徒の知的能力に応じたものであることが要請されるから、日本史を学ぶにあたり歴史観といつた理念を先行させ強制すると生徒にその意図が正しく認識されず、却つて日本史の正しい理解を妨げる結果ともなりかねない側面のあることも否定し得ないであろう。

原告半田の前記〔Ⅳ〕〔Ⅴ〕の試験問題は、既に認定の原告半田の歴史観及び時代区分論の授業を前提としても日本史との関連がはなはだ稀薄である。証人佐藤照雄の証言、並びに原告半田本人も認めるごとく、右試験問題は、日本史の授業の中でも重要と考えられる事項について出題し生徒の理解度を測定することに一つの重要な意義がある。しかし、右問題は「社会主義社会における階級闘争について述べよ」というものであつて日本史との関連性が全く欠落したまま出題されており歴史観との結びつきも不明瞭である。「スターリン思想」「毛沢東思想」についても同様である。

一年間を通じる長い日本史の授業の一環として、あるいは雑談的に或いは生徒の興味をそそるため余談として、説明する場合と異なり試験問題は、その科目の評定と結びつきひいては当該科目の単位の修得の認定につき重要な基礎資料となるから、単に授業において講義したもしくは余談的に話した場合と同列に考えることはできない。この点は後に学習指導要領の法的拘束力の及ぶ範囲と関連して述べる。

2 原告半田が昭和四三年度及び同四四年度において社会科の地理科目の授業を担当し、同四三年三学期における一年生の地理のテストに「公害と独占」「資本主義社会と社会主義社会における階級とその闘争について」という試験問題を、昭和四四年度における一年生の地理のテストに「社会主義社会における階級闘争」「Stalin思想とその批判」「毛沢東思想」という試験問題を各出題したことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によると次の事実を認めることができる。

前記地理Bの試験問題はいずれも当該年度に実施された問題の一部に過ぎないのでその全試験問題についてみると、次のとおりであつた。

昭和四三年度三学期一年生地理Bテスト(昭和四四年三月六日実施)

次の六問のうち任意に四問解答せよ。

〔Ⅰ〕 日本の村落形成と現代の村落がもつ問題点

―家族および地方権力からの解放―

〔Ⅱ〕 都市の機能と都市圏

〔Ⅲ〕 公害と独占

〔Ⅳ〕 有明地域総合開発計画と問題点

〔Ⅴ〕 日本林業の当面する課題

〔Ⅵ〕 資本主義社会と社会主義社会における階級とその闘争について

昭和四四年一年生地理Bテスト

※ 八問のうち任意に五問を選び述べよ。

〔Ⅰ〕 世界の人種差別と民族問題について

(A) White Australian Policy(白豪主義)

(B) Apartheid(人種隔離政策)

(C) アメリカの黒人問題

(D) 日本における社会的差別意識

〔Ⅱ〕 自由主義国家群と社会主義国家群について

(A) 社会主義社会における階級闘争

(B) Stalin思想とその批判

(C) 毛沢東思想

(D) 二つの世界の対立と中立主義国家群との関連。

右「公害と独占」の試験問題に対応する授業がいかなるものであつたかについては、原告半田の陳述書(前掲甲第四六号証)及び原告らの最終準備書面における主張(弁論の全趣旨として)以外にこれを立証する証拠がない。

右陳述書及び最終準備書面における主張等からすれば、原告半田は地理Bの授業において大牟田や水俣に発生した公害問題を取り上げ、公害発生の仕組、環境の変化等を実例に即しながら説明したことを窺い知ることができる。

そして右「公害と独占」の独占とは独占的大企業を意味するものの如くである。しかし公害と独占的大企業とが具体的にいかなる関係において出題されたかは右問題のみから推認するのは早計であろう。

証人榊原康男の証言並びに本件学習指導要領によると、高校地理Bは、いわゆる系統地理学であつて、地理的事象を、空間関係の一般的な原理を追求することによつて、系統的に把握するもので、その基本概念は、分布、環境、地域にあるとされる。右公害が地理Bの教科目の範囲内の問題であることは同証人の証言並びに本件学習指導要領の地理Bの目標及び内容に照らして明らかである。

ただ公害と独占的大企業とを結びつけて出題した趣旨やその前提となる授業が必しも明らかではなく、「公害と独占」という試験問題が高校地理Bの試験問題として適切か否かということはあつても地理Bの範ちゆうから逸脱していると断定することはできない。

次に前記〔Ⅵ〕、及び〔Ⅱ〕の(A)(B)(C)の各試験問題について検討する。

本件学習指導要領、地理Bの目標及び内容に照らしてみると右各試験問題は、少くともその問題自体からみる限り地理Bとの関連はないものといえよう。

原告半田は、この点につき地理の授業との関連を主張、立証するので必要な限度でその授業内容を検討する。

〈証拠〉によると、右試験問題並びにこれに対応する授業は、前記具島教授の講演が参考とされた。同講演はソヴイエト連邦、中国の産業構造の態様にも及んでおつたこと、即ちソ連については、五ケ年計画や新経済政策(ネツプ)などが一九三六年のスターリン憲法、一九五六年のフルシチヨフによるスターリン批判、その後のブレジネフによる再スターリン化(新スターリン化)との対応でどのように変ぼうして行つたのかについて詳しく触れた。

そこで原告半田は地理Bの授業において高校地理Bの教師用の指導参考書並びに右講演内容をも参考とし右の五ケ年計画や新経済政策について、さらにこれらが農業国ソ連から工業国ソ連へと変化する原動力となつたこと、スターリンの経済的刺激の付与による生産力向上政策を基盤にしていること、この工業化政策のため農業の成長率が低く押えられたこと、また労働者の賃金格差が現われてきたことを述べ、これらの問題が、一九三六年のスターリン憲法、一九五六年のフルシチヨフによるスターリン批判、その後のブレジネフによる再スターリン化との対応でどのように変化していつたのかについて授業をした。

中国については、前記高校地理Bの教師用指導参考書及び右講演をも参考とし、中華人民共和国成立後の中国の工業及び農業について説明し一九五三年の五ケ年計画とか、一九六二年に端を発した毛沢東政権主流派の思想統一、異端者粛清の運動は文化大命と発展し、それまで中国の重工業化政策を推進し、自留地、自由企業、自由市場、請負農業などの政策を実施してきた劉少奇らが走資派として批判され、農業の重要性が強調され、官僚制が否定されて幹部も労働をする、賃金の格差をなくするといつたソ連の制度とは異なる諸政策が行なわれるようになつたこと、同時にソ連に対する依存が急速に低くなり中国は独自の経済体制をもつようになつたこと、等を授業した。毛沢東の思想をとりあげたのは、中国の産業構造の変遷と関連するからであつてこのことについて授業をすると同時に試験問題として出題したことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

右のごとき原告半田の地理Bの授業を前提として前記各試験問題を検討するに、「資本主義社会と社会主義社会における階級とその闘争について」及び「社会主義社会における階級闘争」は、原告半田の指摘する本件学習指導要領の地理Bの「内容」(12)の国家・国家群または高校地理Bの教科書及び同教師用「指導参考書」の内容を検討しても、高校地理Bあるいは地理学との関連が極めて稀薄であるばかりでなく高校地理Bの試験問題として出題した意図も、原告半田の主張に拘らず、明らかとは言えない。証人榊原康男の証言によるも右の設問は高校地理Bの学習目標に逸脱するとされ、これを覆えすに足る証拠もない。

以上の次第で本件学習指導要領の地理Bの「目標」「内容」からみて右各設問はいずれも地理Bの範ちゆうに入らないと解するを相当とする。

「スターリン思想とその批判」「毛沢東思想」の各設問は、原告半田の前記授業を前提とするならば、ソ連、中国の産業構造についてスターリンの思想、あるいは毛沢東の思想が影響を及ぼし得ることは否定できないことから地理学に関連して地理学の対象ともなりうる場合のあることは、証人榊原康男の証言によつても首肯しうる。しかし地理学が、地理的事象を、空間関係の一般的な原理を追究するものである限り右各設問も地理学との関連は比較的稀薄であるといえよう。ことに高校地理Bの試験問題として、これを重要視して出題することは(単なる授業における説明にとどまらず)本件学習指導要領の目標、内容ことに国家・国家群の項を重視したとしても、行き過ぎであるとの批難を免れないであろう。

(三)  原告山口の担当教科に於る教育活動

1 原告山口が昭和四四年度に伝習館高校の三年生の政治・経済の授業を担当し、その授業においてヴエトナム、朝鮮、米偵察機撃墜事件などの問題を取り上げて解説しまた生徒の意見発表を求めたことは当事者間に争いがない。

右事実をもつて高校の政治経済の科目と関係がないとはいえない。即ち前掲乙第一号証本件学習指導要領の政治・経済の目標(5)には「国際関係の基本問題を理解させ、国際社会におけるわが国の政治的および文化的地位の認識とその使命を自覚させ、国際協力を進め、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする態度を養う。」とあり同科目の内容(4)の中には「国際政治・経済の動向」とあり、右ヴエトナム問題、朝鮮問題、米偵察機撃墜事件(北朝鮮上空)等はいずれも戦後の国際政治における世界的関心事であつてわが国政治・経済にも関連を有する問題であることは明らかである。現に成立に争いのない〈証拠〉においてもヴエトナム問題の叙述があり、成立に争いのない〈証拠〉でも朝鮮戦争、インドシナ戦争、ヴエトナム戦争の記述がある。

被告は、原告山口が、右諸問題を取り上げた授業において、著しく恣意的かつ独善的な時事評論であつて、生徒に対し特定の立場から政治評論的授業をしたことを主張し問擬している。

そこで原口山口のこれらの政治経済の授業の実態につき必要な限度で検討する。

〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができる。

原告山口は、政治経済の年度当初の授業で、生徒に教科書の構成を説明し、教科書中Ⅰ、日本の政治、Ⅱ、日本の経済については教科書の配列に従つて授業を進めること、Ⅲ、労働関係と社会福祉、Ⅳ、国際関係と国際協力の単元では、右Ⅰ、Ⅱと関連する事項のとき及びⅢ、Ⅳと関連する事件が発生したときに新聞のスクラツプ、統計資料等を使用して随時授業を行なう方針であることを説明した。

そしてヴエトナム問題に言及したのは、教科書第一章4、政治機構のなかでフランスの政治機構を説明する際に、フランスの戦後の歴史の概略を説明したとき合わせてヴエトナム問題について触れ、二回目はヴエトナム戦争が激化し、ケサン、ユエ等の都市から米軍が撤退する噂さが新聞報道されたときに新聞記事等を素材として時事問題として解説した。その際、ヴエトナムのゴ・ヂエン・ヂエム大統領はアメリカのカトリツク教会で執事をしていたことを説明した。また朝鮮戦争については戦後のアジア体制の説明のとき及び米偵察機が北朝鮮上空を侵犯して撃墜された事件が新聞報道されたころ時事解説として授業で取り上げたがその際、アメリカがヴエトナム戦争で行き結つたのでその打開のため朝鮮に戦場を求めようとしそのため米偵察機撃墜事件が発生したとのこと、李承晩大統領が戦前からアメリカに亡命しており終戦直前にアメリカで朝鮮の仮政権を樹立したこと、朴大統領が日本の士官学校の出身者であること等をも説明した。以上認定の事実を覆えすに足る証拠はない。

証人木本真静の証言中には、「朴大統領は、アメリカが南朝鮮を自由にあやつるためにアメリカに来ていた下層階級の朝鮮人をかいらいとして坐らしたものだ。」との供述部分があるが右は原告山口の本人尋問の結果に照らし措信できない。なお乙第三四号証の四、9は、供述した生徒の氏名が不明であつて措信できない。

2 〈証拠〉によると次の事実を認めることができる。

原告山口は、昭和四四年度の三年生の政治経済の一年間の授業において、各国の政治形態の説明及び経済等に関連し多数の書物を紹介し、生徒らが自主的な学習をすすめるための参考とした。そしてあるときは著書の立場や特徴点を解説する場合もあるが、単に授業のあと、その授業に関連し書物のみで内容の紹介のない場合もあつた。いずれにしても生徒に対する書物の紹介は、生徒に対し課題を命じるものではなく自主的な学習をするときの一つの参考図書として紹介したに過ぎなかつたから、前掲証人らも書物の紹介に応じて幾冊か読んだ生徒もいる程度であつて一般的に生徒が右紹介図書を多数読んだものとは言えない状況であつた。原告山口の紹介にかかる図書を列挙すると別紙五のとおりである。右認定を覆えすに足る証拠はない。

三処分事由に対する法的評価

(一)  原告茅嶋について

被告は前記「夢幻の呪詛」「老いているであろう新入生諸君」「想像力が権力を奪う」及び別紙四のビラの各文がいずれも学校教育法第四二条並びに本件学習指導要領の道徳教育の目標に違反すると主張するので以下順次検討する。

1 「夢幻の呪詛」について

本文は既に認定のとおり伝習館高校演劇部の公演パンフレツトの中に掲載されたものであり、その文章内容全体を見れば原告茅嶋の演劇論であることが理解される。

たゞ右文章自体、原告茅嶋も自認するごとく同人独自の用語の使用法及び文章構成等において難解なものとなつており、まして高校生が右文章を読んで全体な把握が出来ると解されないことは容易に推認しうるところである。

従つて読者によつては文章の一部分を重視これを文章の全体的な意味として受け取る虞れもあり得ると考えられ、証人加藤治雄、同添島隆子、同村上由美子、同近藤則之らはかつて伝習館高校の生徒であつたが、これらの証言によるも右文章の意味を十分理解しているとは言えず、右加藤治雄、村上由美子は漫然と演劇論であつて意識の革命について論じたものとの受けとめ方をしているが右近藤則之は、「犯罪」とか「革命」とかの文字が出ていて異常な感じを抱き、茅嶋先生は革命論者ではないかという話を友人としたことがある旨証言している。証人斉藤弘の証言にあるように、右文章が高校生を対象とするクラブ活動の一環である以上、まず高校生の理解能力の程度を知つたうえで生徒が如何に受け取るであろうか、教師が生徒に何を理解させようとしたのであるかといつた教育的配慮を十分考慮する必要があろう。右文章が「指導助言」の対象となり得ることは否定できない。

しかし、それはともかく、右文章を全体的に見れば、生徒に対し、現実の我国の政治、経済体制を暴力的に破壊するいわゆる「革命」を煽動し、現在の法体制を破壊し、あるいは民主々義国家、社会における法の支配の基本原則を否定することを勧める内容を有するものではない。虚無的、比喩的に「革命」を礼賛する部分はあるが、右文章のいずれをとつても現実の政治制度法秩序を具体的に批難しこれが改革について暴力による革命を煽動した部分は見当たらない。

右文章が学校教育法第四二条及び道徳教育の目標に違反するとの被告の主張は、採用できない。

2 「老いているであろう新入生諸君」「想像力が権力を奪う」について

右「老いているであろう新入生諸君」は既に認定のとおり、新入生に対する伝習館高校の実情を紹介する特集号の中に掲載されたものであり右特集号の趣旨に応えて、原告茅嶋が「新入生諸君は高校生活に対する甘い幻想、甘い認識を捨て、高校生活の現実を直視し、主体的に高校生活を生き抜くよう。」にとの意味で新入生に呼びかけたものである 原告茅嶋本人尋問)。

原告茅嶋独特の文章体と極端な表現(一切を拒絶する、学校生活を憎しみ抜く等)を使用しているところから被告が指摘するような不適切な表現あるいは一見高校生を軽蔑しているかの如き部分のあることは否定できないが、全体的に見れば前記特集号発行の趣旨及び原告茅嶋の右呼びかけの趣旨に沿つたものと解される。

しかし右文章が革命を煽動し、現在の法体制を破壊することを勧める文章でないことは容易に理解することができる。

次に「想像力が権力を奪う」の一文について。

右一文は既に認定のとおりの経緯によつて、原告茅嶋がフランスの学生運動の思想を、当該学生達が敷石や壁に書きつけた言葉を編集した「壁は語る―学生はこう考える。」(Jブザンソン編竹内書店刊)を資料として、その資料の中の言葉を引用、列挙して一文を構成し、これを新聞部の要請に応じて当時のフランス学生運動の紹介として「伝習新聞」に寄稿掲載されたものである。

右一文の中には被告の指摘するとおり「革命は存在することをやめて実存すべきである」「法律を破ることだ強行しよう」、「誰も考えたことのない思想に危険をおそれず頭をつつこめ!」「通りの舗石をはぐことは都市計画破壊の手初めである」「君たちの乳母(学校を意味する)を強姦せよ、もうすぐに魅力的な廃墟」等の文章があり、法律を破り、暴力革命を煽動する趣旨ととれなくはない言辞が羅列されている部分がある。

しかしまた原告らの指摘するように右一文の中には種々雑多なしかも断片的な思いつきの言辞が多数列挙されており、到底論理的な一つの体系的な思想を叙述した文章とは理解し得ない部分も多い。

それはフランスの当時の異常な学生運動の参加者たちの無責任な落書きを素材として編集された前記文献を基礎として一文を構成したことに多く原因があるものと推認される。そうであるとすると、原告茅嶋が右一文と同様の思想をもち、これを生徒に紹介することによつて法秩序破壊、革命を煽動したと見るのは妥当でない。

しかし右一文は、新聞部によつて寄稿依頼されたとは云え、法秩序破壊を煽動する言辞を含み高校生として論理的に理解困難ないわば感性的な文章を高校新聞に寄稿することは、学生運動の紹介としても高校生の教育活動の一環として不適切であるといい得よう。

証人斉藤弘の証言するごとく、高校生の理解能力をもつてしては、右一文の部分的言辞をとらえ、あたかも原告茅嶋も同じ思想を代弁したものと誤解することもないとは云えないのであつて、みれば、伝習館高校生全生徒に配布される「伝習新聞」に右の如き内容を含む文章を掲載することは「構成責茅嶋洋一」と断つていることを考慮しても高校生に対する教育的配慮を欠いたものとの批難を免れないであろう。

従つて右一文を寄稿したことは、学校教育法第四二条、本件学習指導要領の道徳教育の目標に違反した(法的拘束力の有無は別として)とまでは云えないにしても、指導助言行政の対象となりうるであろう。

3 国家幻想の破砕を、と題するビラについて

右ビラの内容は別紙四のとおりである。右ビラに対応する二月一一日の討論集会は既に認定のとおりである。

右討論集会の内容を考慮し右ビラの内容の意味を探究すると、要するに、「建国記念日」は歴史学的に見れば問題があるとしてその歴史的な評価と「国家」または「国家意識」とは何かを学問的に分析し討論しようではないかとの、討論集会への呼びかけをしたものである。「国家幻想の破砕を!」という表現は前記原告茅嶋の各文と類似しおそらく同人の発案にかかるものと窺い得るが、結局、国家意識―それを甘美なものとする観念があることを前提としこれを学問的に研究対象としようーについて討論集会をしようとの呼びかけを、生徒らにアピールするための大げさな表現となつたものと推認しうる。

従つて右ビラの内容だけをもつて「生徒に対し建国記念の日の否定及びこれに籍口して「国家幻想の破砕を」呼びかけ、いたずらに法律無視反国家ないしは反権力という特定思想の鼓吹を図つたものとして学校教育法第四二条所定の高等学校における教育目標に反する」、との被告主張はたやすく採用できない。

(二)  原告半田について

1 原告半田の前記日本史の試験問題(「社会主義社会における階級闘争」、「スターリン思想とその批判」、「毛沢東思想とその批判」)が高等学校における日本史の試験問題としては、日本史との関連が極めて稀薄であること、換言すれば日本史の目標を逸脱していることは既に認定したところである。

本件学習指導要顕の法的拘束力の及ぶ範囲については前叙のとおりであるところ、高等学校における全課程の修了の認定を受けるには、「高等学校学習指導要領の定めるところにより八五単位以上を修得」しなければならないとされ(学校教育法施行規則第六三条の二、本件学習指導要領第一章第二節第四款)各教科、科目についての単位の修得の認定は「生徒が学校の定める指導計画に従つて教科、科目を履修しその成果が教科、科目の目標からみて満足できると認められる場合」になされたものと規定されている。(本件学習指導要領第一章第二節第三款)

そして右単位修得の認定にあたつては生徒の「平素の成績を評価して、これを定めなければならない」とされている(学校教育法施行規則第六五条一項、第二七条)

ところが原告半田は前認定のとおり日本史の目標から逸脱した事項を試験問題として出題し、これを日本史の単位修得の認定についての基礎資料の一部としたところに、本件学習指導要領の法的拘束力のある「単位修得の認定」に関する条項に抵触したこととなり、法令遵守義務に違背したと解するを相当とする。

2 原告半田の前記地理Bの試験問題(社会主義社会における階級闘争」「スターリン思想とその批判」「毛沢東思想」)が高等学校の地理Bの目標、内容からみて同科目の範ちゆうに入らないか少くとも同科目の目標との関連性は稀薄であることは既に認定したとおりである。

従つて日本史について前叙したと同様の理由によつて、本件学習指導要領の法的拘束力ある「単位修得の認定」に関する条項に抵触したこととなり、法令遵守義務に違背したと解するを相当とする。

(三)  原告山口について

1 原告山口の前記ヴエトナム戦争、朝鮮問題、北朝鮮上空での米偵察機撃墜事件に関する授業は、高等学校の「政治・経済」の目標及び内容に照らし、当該科目の範ちゆうの事項であることは既に認定したところである。

被告は、右諸問題に関する原告山口の授業内容そのものを問題としている。

教育基本法第八条には「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」「法律に定める学校は特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と規定され、本件学習指導要領の「政治・経済」の「指導計画作成および指導上の留意事項」(5)では右条文をうけて注意的に「政治に関する事項の取り扱いについては、教育基本法第八条の規定に基き、適切に行なうよう特に慎重な配慮をしなければならない。」と規定されている。

原告山口の前記ヴエトナム戦争、朝鮮問題、米偵察機撃墜事件の授業内容は特定の政党、政治団体の支持又は反対のためのものとまでは認め難く、その他右教育基本法第八条に抵触するとは認め得ない。

しかし米偵察機が北朝鮮上空で撃墜された事件を、アメリカのヴエトナム戦争の行き結りによつて「その打開のため朝鮮に戦場を求めたもの」との説明は、どの様な客観的資料に基いての発言であるか本件訴訟資料からこれを見い出すことはできない。

アメリカのヴエトナム戦争や米偵察機の北朝鮮侵犯がわが国の新聞報道等において批判されていた事実は公知の事実であるとしても、「政治・経済」の授業における原告山口の右説明は自己の主観的見解を先行させ客観的分析を欠きその結果科学的真理に乏しいものとして政治関係事項の取り扱いについて「適切に行なうよう特に配慮しなければならない。」との条項に反するものと評価しうる。

もつとも右条項部分(適切に行なうよう特に慎重な配慮をしなければならない。)は法的拘束力がなく訓示規定と解し得るから、これをもつて直ちに懲戒処分の対象とはなし得ないが、指導助言行政の対象とはなりうるものと解される。

2 原告山口が「政治・経済」の授業において生徒に紹介した図書は参考図書として掲げたものであつて、右図書を全部読書することを課題としたものでないことは既に認定のとおりである。

仮りに右紹介図書を読書すべく課題として命じたものであるならば、本件学習指導要領並びに証人斉藤弘の証言に照らし、紹介図書が、高校における「政治・経済」の学習上あまりにも多量に過ぎること、また高校生の「政治・経済」の目標及び内容に照らし、日本の政治、経済の理解のためにはより基本的事項に即した参考図書を紹介するのが適切であり、前記参考図書は、高校生の知的発育程度を前提とする限り程度が高度に過ぎる書物もかなり含まれておりその内容も政治学、経済学に関するものから歴史学、哲学、思想、文学といつた多方面に及んでいる。(もつともこれらの書物が学問的にみて政治学、経済学の研究にとつて有意義であることを否定するものではない。)

従つて高校生を対象とする限り質的にも量的にも過重負担となることは明らかであろう。

しかし事実は、原告山口が、生徒に対し、自主的な学習をするときの参考として紹介したに過ぎない。

被告は右紹介図書の一部を把らえて特定の書物であるとし本件学習指導要領違反を主張するが、それらの書物はソ連や中国の政治、経済に関連する図書として紹介したに過ぎないことが推認されるから右主張は理由がない。

(〈証拠〉によると世界史の教授資料の中に別紙五の紹介図書人○印のついた書物を参考図書として掲げていることが認められる。)

第三学校教育法第五一条(第二一条)と原告ら三教諭の教育活動

一学校教育法第五一条(第二一条)の意味

(一)  学校教育法第二一条一項の沿革

学校教育法第二一条一項は「小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない。」同条二項は「前項の教科用図書以外の図書その他の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる。」と規定され、同法第五一条で右二一条の規定が高等学校に準用されている。

昭和二三年学校教育法制定当時の本条一項は「文部大臣」とは規定されず「監督庁」とされていたが、「監督庁」は「当分の間これを文部大臣とする」(第一〇六一項)と読み替えられていた。

これは、教育委員会法(昭和二三年法律第一七〇号)で都道府県教育委員会に教科書検定権を付与し(同第五〇条一、二項)「用紙割当制が廃止されるまで」暫定的に文部大臣が検定権を行使することを認める(同第八六条)旨の規定を置きまた、私立学校法(昭和二四年法律第二七〇号)でも都道府県知事が私立学校(大学を除く)教科書の検定権を有する(同第七条一、二項)「用紙割当制が廃止されるまでは」文部大臣が検査事務を行なう「同付則一三)体制をとつていたことからすると、原告ら主張のごとく、戦前の国定教科書制度、中央集権的画一主義を反省し、戦前は許されなかつた準教科書、副読本など各種教材の自由使用を認め軍国主義の復活を阻止し、地方の実情に即した多様な教科書の出現を期待したのであるが、当時は教科書書を含め用紙が極端に不足し、かつ教育委員会の組織化も遅れていたことから直ちに各地の教育委員会に検定をまかせることは公平な用紙割当ができないおそれもあつたことから、文部大臣に当分の間、右検定の権限を付与していたものであろう。

しかし昭和二七年四月一日以降用紙割当制は廃止されたが、検定権限は教育委員会には移行されず、昭和二八年(法律一六七号)に至り「監督庁」は「文部大臣」と改められ、都道府県の教育委員会の教科書検定権が否定され、更に昭和三一年地方教育行政の組織及び運営に関する法律によつて教育委員が従前の公選から都道府県知事の任命制に改められ教育内容に関する法制の転換が行なわれた。

(二)  教科書の使用義務について

学校教育法第二一条一項(第五一条以下省略)に関し、原告らは教科書使用義務を肯定したものでない旨主張するが、同条一項の文言上、教科用図書((1)文部大臣が検定したもの(2)文部大臣が著作権を有するもの)を使用しなければならないことは明らかであるのみならず、教科書の検定制度がとられ(教科用図書検定規則一)教科書の使用を教育委員会の採択にかからしめまた教科書以外の教材の使用につき届出制又は承認制の定めを設けることとしている(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第二三条六号、同法第三三条一、二項)ことおよび教科書法の存在等の教育法制度をみても教科書使用義務の肯定を前提としている。従つて学校教育法第二一条一項は、検定又は著作教科書がある場合には、教師は当該科目の教育活動において、必ず教科書を教材として使用しなければならず、使用される教科書は検定教科書か文部省著作教科書でなければならないことを規定したものである、と解するを相当とする。このことは、学問の自由に関して高校以下の普通教育で述べた教育の機会均等の要請、全国的な一定水準維持の要請、子どもの側から学校や教師を選択する余地が乏しいこと等からも裏付けられるものであろう。

しかし、教科書を使用するという場合、教師が現実の教育現場で教科書を教材としてどのように活用した場合に、はたして「使用した」ということになるのか、つまり教科書の使用の仕方や補助教材との使用上の比重等については、原、被告間に著しい見解の相違がある。

被告は、教科書の使用形態は、「教科の主たる教材として、教授の用に供せられる」べきこと、すなわち、「教科書」とは「学校において、教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として教授の用に供せられる児童又は生徒用図書」(教科書法第二条)として法律上観念されていることからも明らかなとおり、学校教育法第二一条の教科書使用義務の本来的意義は、教師に対して当該教科、科目の教授に際しては、検定教科書を主たる教材として使用すべきことを命ずる点にあるとし、このような検定教科書の使用義務は、学習指導要領の法的拘束性とともに教育の公的性格に由来する旨主張する。

そして具体的には教授方法において教科書が主たる教材として活用されているか否か、当該教授に使用される諸教材の中で教科書が常に中心的教材として使用されているか否か、授業内容の面でも、教科書の内容に従つていることを必要とする旨主張するので判断する。

教科書法は、「現在の経済事情にかんがみ、教科書の需要供給の調整をはかり、発行を迅速確実にし、適正な価格を維持して、学校教育の目的達成を容易ならしめることを目的」としたもの(第一条)であり、主として文部大臣と教科書発行者との関係を規律したものであるから同法上の教科書の定義をもつて学校教育法第二一条一項の教科書使用義務ひいては使用形態を演繹することは困難であろう。

思うに、教科書使用義務を肯定することは、教師が当該科目の教育活動において教科書不使用と評価された場合、任命権者によつて地方公務員法上義務不履行として懲戒処分の対象となることを意味する。

元来教科書は、教材の一つではあるが、著者によつて一定の価値基準に基いて教育素材の選択、組織化が行なわれ、一つの体系化された内容を有するところに特色がある。一面、教科書検査は、申請図書の発行の事前における内容審査をともなう裁量的許可制であるから検定基準によつて審査され場合によつては検定不合格とされる限度においては文部大臣による教育内容統制下にあることは否定できない。他面、教科書は当該科目の先達である著者がその科目の全般にわたり研究の成果を体形化したものであるから優れた教科書ほど教師にとつても生徒にとつても適切な教材たりうるが、優れた教科書の存在のみでは教育の成果は期待できない。何故なら教育は教師と生徒との間に展開されるものであるから特定の教育目的を達成するについても、生徒の資質、理解力等の実情に即して、生徒の潜在能力を顕在化し、開花せしめるための教育の方法、手段は多様であり、そこに教師の創意工夫が要請される所以がある。

もしかりに、教師が体系化の完成したいわば規格品である教科書にのみ頼り、単なる教科書の棒読みや個々的な単語の説明に終つたり或いは教科書に書かれた内容に拘束され学問的見地に立つた反対説につき検討することを許されないとすればそこに真の教育が成り立ち得るであろうか。教科書に絶対的な価値を認めることは戦前の国定教科書の例に照らしても危険を包含している。以上の次第で教科書法上「主たる教材」であることから諸教材の中で中心的教材として使用する義務を肯定することはできず、教科書の教え方や補助教材との使用上の比重等は教師の教育方法の自由に委ねられているものと解するを相当とする。

他方原告らは教科書の使用とは、教師が授業において説明した内容が客観的に、ないし結果的に教科書の内容に相当している場合をいうものと主張し、具体的には、(イ)教科書を年度初めに家庭において予め通読させておいたり、あるいは各授業時間の前に予習させておく。(ロ)資料集中に教科書に掲載されている史科と同一の史科が形態を違えてある場合にこれを利用する。(ハ)教科書内容も含めて授業用ノートあるいはプリントを作成し、これに基いて授業を行なう場合。(ニ)授業の最初に教科書の該当部分を読み、その後、その項目に関する講義、説明討論等を行なう場合、等においては爾後授業中時間中一度も教科書を開かず、生徒にとつて現在が授業が教科書のどこと対応しているか判然としない場合でも客観的に教科書内容に相当していればよい、とするので判断するに、

学校教育法第二一条が教科書使用義務を規定している以上、教師が当該科目の授業において、教科書を教材として活用せず、教科書以外の副読本や資料集その他の教材のみを用いてなした教育活動が客観的にあるいは結果的に教科書内容に相当している場合であつても、それを目して教科書を使用したとはいえないが、右主張(ロ)ないし(ニ)の場合には教科書を使用したとの評価をなしうる場合であろう。

教科書を使用したといいうるためには、まず教科書を教材として使用しようとする主観的な意図と同時に客観的にも教科書内容に相当する教育活動が行なわれなければならない。右の両者を併せもつとき初めて教科書を教材として使用したといいうるであろう。もつとも一年間にわたる当該科目の授業の全部にわたり右の関係が維持されていることを厳密に要請されるとは言えず要は当該科目の一年間にわたる教育活動におめる全体的考察において教科書を教材として使用したと認められなければならないということであろう。従つて或る授業時間のみを把えれば教科書内容以外の講義(客観的に)や教科書以外の研究書や資料を教材とし(主観的に)教科書内容に相当する教育活動が行なわれたとしても、それのみを目して教科書使用義務違反とみるのは非常識である。

学校教育法第二一条一項の教科書使用義務の意味を以上のように解すれば、教師の教育活動における創意、工夫、自主性の要請を阻害する虞れはなく、教育基本法第一〇条一項の教育に対する不当な支配とはなり得ず、憲法第二三条の学問の自由、第二六条の教育を受ける権利を侵害するとは到底言えないので、原告らの教科書使用義務がないとの主張は採用できない。

二原告らの教科書「使用」の存否

(一)  原告茅嶋の場合

原告茅嶋が昭和四三年度及び同四四年度において倫理社会及び政治経済の授業担当を命じられていたこと、右各教科については、被告が採択し伝習館高校において使用が決定された教科書(「倫理社会」実教出版株式会社発行―昭和四三、四四年度「政治、経済」教育図書株式会社発行―昭和四四年度)があつたことは当事者間に争いがない。

1 〈証拠〉によると次の事実を認めることができる。

原告茅嶋は、昭和四三年度の倫理社会(二年生)の最初の授業時間において高等学校における社会科、「倫理社会」の科目の性格を批判科学として位置づけられていること、倫理社会の学問対象は教科書の記述内容にとどまらず生活全般である旨説明し、以降の授業においては、教科書は単に知識の羅列であつて各自家庭で読めば理解できる筈であるから授業時間中は教科書の記述を読んだり或いは指示する形では授業を進めず生活全般を学問対象として行く旨説明し併せて教科書は各自家庭で読むよう指導した。

原告茅嶋自身が倫理社会の授業の目標としたところは、自由な批判主体の形成を目指し、そのため生徒が自分の存在と意識を対象化する視座と方法を生徒が自ら獲得しうるよう努めることに主眼を置きその授業の方法はいわゆるソクラテス的方法に学びこれを実践することにあつたといえる。

そして現実の授業においては昭和四三年度同校二年の加藤治雄のクラスではその内容構成は、思想史的なものとして、古代ギリシヤ思想、ソクラテスの自殺の意味、ポリス、プロタゴラスの人間万物尺度論、キリスト教、唯一神・超越神、近代的自我―デカルトを中心に、現代思想―実存主義とマルクスを中心に、また歴史的、社会的なものとして、わが国の家族制度、旧民法、国家、天皇制、部落問題、現代社会の疎外等、その他人間存在の矛盾と苦悩の問題をテーマとした授業内容であつたが必ずしも体系的な授業ではなく断片的で生徒が予習したり復習したりすることは講義内容の形而上性と相まつて困難であつた。

そして右授業の教材としては、教科書は用いず、例えば現代社会と疎外においてはチヤツプリン演ずる映画「モダンタイムス」を題材とし、「人間存在の矛盾と苦悩」では梶井基次郎著「桜の木の下には」魯迅著「狂人日記」等の文芸作品や評論、雑誌、新聞等多種多様なものを教材として選択し使用した。そして試験問題も、原告茅嶋が倫理社会の目標とした前記の考えに立脇し、一学期にはエリツヒフロムの文章を二学期は魯迅の作品中から「賢人と馬鹿と奴隷」の文章を三学期は「自由について」というテーマを各出題した。

同年度同校二年七組(島添隆子)の倫理社会の授業においても教科書を用いて授業を行なわなかつたこと、授業の方法、内容構成は前記加藤治雄のクラスと大同少異である。

昭和四四年度の倫理社会における原告茅嶋の授業目標、教材の使用、授業内容構成は、昭和四三年度との間に変化は見られない。すなわち教科書については、授業の最初に、倫理社会の性格を説明すると共に、生徒各自が家庭で読むよう指導し授業においては教科書の記述内容を指示したり読ませたりすることは一切なかつた。授業方法は、その導入において本の紹介や説明、単語(概念)の板書や説明、生徒への質問や討論、講義等多岐にわたつていた。

講義の内容は、価値の相対性(美意識について)、歴史的認識の相対性(アメリカ大陸の発見)主体的思考の必要性(サルトルとフランスの一青年の会話)宗教(新興宗教、親鸞、キリスト教等)女性問題(青鞘社運動、ボーボワール、魯迅著「ノラは家出してどうなつたか」)民主々義、自由について、ソクラテス、デカルト、マスコミ、疎外について、その他の思想及び思想家に関するものであつた。

概略以上のような授業方法及び内容であつたから原告茅嶋はもちはろん生徒も倫理社会の教科書は一学期の初めころは教室に持参していたが、その後殆どの生徒が教科書を持参しなくなつた。以上の事実を認めることができ、証人横山多美子同近藤則之の各証言はその内容について記憶が暖味であつて全面的には措信し難いが、前記認定に抵触するものではなく他に右認定に反する証拠はない。

〈証拠〉及び本件学習指導要領によると、原告茅嶋の前記倫理社会の授業内容が、客観的には教科書の内容即ち、第一章人間と社会、第二章日本の社会、第三章現代社会の特徴と問題、第四章現代の思想、第五章人間の自覚のあゆみ、第六章自由のいずれかに相当しあるいは関連するものではある。しかし教科書を教材として使用したといいうるためには主観的、客観的な要件を必要とすることは前叙のとおりであるところ原告茅嶋の前記認定の倫理社会の授業においては主観的にも客観的にも教科書を教材として使用したとは到底言えない。

教科書を生徒各自が家庭で読むよう一応指導はしているが、これは課題として(例えば次の授業時間までに何頁までを読むことを指導し、その内容に関連して授業を進めるような場合)なしたものとは認められないから右をもつて教科書を使用したということができないのは当然である。

また前記授業内容が「倫理社会」の内容に相当ないし関連しているがこれは教科書を教材として使用した結果ではなく、原告茅嶋の指導計画に基づく「教科書を教材としない」授業が、結果的には倫理社会の内容に相当ないし関連したものということができる。

2 〈証拠〉によると、

原告茅嶋は昭和四二年度(三年六組)の政治経済の授業においては講談社発行の教科書「標準高等政治・経済」及び社会科教材研究会編、啓隆社発行の「政治・経済資料集」を教材として同科目の授業において使用したことを認めることができ右認定に反する証人成清知子の証言は措信できない。

なお原告茅嶋の昭和四三年度及び同四四年度における政治・経済の授業において教科書を使用しなかつたとの証拠は乙第三四号証の二3、8(成立については森英俊、今宮昌成の証言)以外になく右証拠は、伝聞であるうえ生徒名不詳のものであつてその内容もたやすく措信できない。

却つて弁論の全趣旨により成立を認める甲第一、二号証並びに昭和四二年度政治経済の授業で教科書を教材として使用している事実からすると昭和四四年度の政治・経済の採業においては教科書を使用したことを認めることができこれを覆えすに足る証拠はない。

(二)  原告半田の場合

原告半田が昭和四四年度、日本史の授業担当を命じられていたこと右教科については被告が採決し伝習館高校において使用が決定された教科書(「詳説日本史」株式会社山川出版社発行)があつたことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができる。

原告半田は昭和四四年度三年生(三組)の日本史授業において、教材として、原告半田作成の講義用ノート及びプリント、株式会社啓隆社発行の日本史資料集並びに教科書(甲第四二号証)を使用した。

右講義用ノートは同原告が年間の日本史の授業計画にあたつて教科書及び「教授用資料」を通読したうえ、教科書、指導書、史料集、参考書、研究論文等を参考として作成されたものである。また同原告は、右プリントを生徒に配布して授業に利用した。その内容は古代日本の奴隷制を含めアメリカの奴隷制及び人種問題までをも取り扱つた詳細なものであつたり、奈良仏教や日本古代の政治型態についての授業内容のまとめであつたり、律令制の説明について或いは図表を示し或いは年代順に社会体制の変化を説明した説明図的なもの、用語説明的なもの等多種多様であるが概して教科書内容を補足するかそのまとめ的なものである。

次に前記日本史資料集は、九州各県の高校教育研究会、社会科歴史部会の編集によるもので、編集後記には「学習指導要領や各種教科書に準拠し、実際の授業に活用できるということを第一の目標に、史・資料を厳選し、かつ付図、付表をできるだけ多くして生徒の自学自習にも利用可能なようにと考えて執筆、編集」したと記載され、現に教科書に準拠して史・資料に重点をおいて学習の便宜を考慮し作成されたものである。

原告半田は昭和四四年度三年生の一学期の授業では、最初の五時間ぐらいは前記「原告半田の担当教科に於る活動」において認定のとおり歴史観、時代区分論、並びに唯物史観の具体的展開としてソ連、中国の思想や経済基盤等の授業を行ない以降教科書の順序に従い教科書、ノート、資料集を教材として併用しながら進行し一学期ごろの六月一六日ごろから七月三日までは前記プリントを主たる教材として使用した。

二学期の授業では、週四時間のうち週二時間を日本史のグループ研究に充てることを計画し、一学期末に生徒にその旨通知し、研究テーマは、原告半田が案として出したものもあるが概して生徒が各グループ毎に教科書の目次の範囲内で自由に選択させたが、その際伝習館高校図書館の日本史の参考文献の目録を単元毎に分類した表を配布し、夏休み中に下調べをするよう指示した。

二学期に入り週二時間を右の研究発表等にあてこれが一一月ごろまで継続され、残り時間を講義形式の授業に充てた。

右講義形式における教材としては教科書、資料集、ノート、プリント等が併用された。教科書そのものの使用型態は、生徒に教科書の記述内容を朗読させたり或いは原告半田自ら朗読したこともある。資料集は前記のとおり教科書に準拠して史科、資料等が厳選されてあるので、これを活用し授業をすると、教科書に同様の史、資料が掲載されている場合、同時に教科書を使用したと同一の評価をなしうると解される。原告半田は一学期ないし三学期の全般に亘つてこのような意味で資料集の史料等をひんぱんに活用したほか教科書、資料集、日本史辞典を教室に携帯し、生徒に対してはとくに注意しなくとも教科書、資料集は殆んどの生徒が毎時時携帯していた。原告半田自身は日本史の授業において教科書を使用する義務があると観念してはいなかつたが、教科書を教材として使用しようとの意思に基き、客観的にも教科書を使用した。

以上の事実を認定でき、右認定に反する証人堀明彦、同吉武政子の証言の一部は措信できず、他にこれを覆えすに足る証拠はない。

以上の次第で被告の教科書不使用の主張は採用できない。

既に叙述のとおり教科書の使用の仕方は、教育を掌る教師の自由に任されたものであり、生徒の実情に即して最もよく教育効果をあげる方法で使用されることが理想であると考えられる。従つて単に教科書の記述を朗読する方法による場合もあれば資料集の詳細な史、資料を説明することによつて教科書の史、資料を補足する方法によつて教科書を使用する場合もありまた教科書内容を含めてより詳細なプリントを作成配布しこれを講義することによつて教科書を使用する方法もある。前掲堀明彦、同吉武政子の証言では、教科書自体を朗読したり、教科書の核当個所を説明したりすることのみを把えて教科書を使用したと供述し、それ以外の方法による教科書使用の意味を理解しないまま供述しているので、その限度では必ずしも前記認定に抵触するものではない。

(三)  原告山口の場合

原告山口が昭和四四年度、政治、経済の授業担当を命じられていたこと、右教科については被告が採択した伝習館高校において使用が決定された教科書(「政治経済」一橋出版株式会社発行)があつたことは当事者間に争いがない。

既に認定のとおり原告山口は昭和四四年度三年生の政治経済の年度当初の授業で生徒に教科書の構成を説明し、Ⅰ、日本の政治、Ⅱ、日本の経済については教科書の配列に従つて授業を進めること、Ⅲ、労働関係と社会福祉、Ⅳ、国際関係と国際協力の単元では右ⅠⅡと関連する事項のとき及びⅢⅣと関連した事件が発生したときに新聞のスクラツプ、統計資料等を使用して随時授業を行なう方針であることを説明した。

〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができる。

原告山口は、昭和四四年度三年生(主として三組)の政治経済の最初の授業において前記年間授業計画の説明を行なつた際教科書問題についても言及した。すなわち政治経済は昭和三八年度までは「社会科社会」という名称で五単位であり、現行の倫理社会と政治経済の両分野を包含していたが、実際には政治経済の部分の授業をするのが精一杯のところであつたこと、現行では右両教科に分離されてそれぞれ二単位となつた結果、教科書の内容が質、量共に窮屈になつていること、更に教科書検定制度に触れ、教科書会社は、検定に合格しなければ教科書として売れないので、いつの間にか文部省の意に沿つた原案をつくるようになつていることや家永教科書裁判等について説明し、また教科書の執筆者が近代経済学の関係の人達であるから、マルクス主義経済学の執筆者とは、その立場によつてニユアンスが違うからそれを念頭において教科書を読むよう指導した。そして社会科の学習方法について説明し、教科書を解読するような形の授業をしないから必ず教科書を予め読んで教室に疑問や課題を用意してくるよういつて指導した。

教材の使用について、授業と関連して見てみると、およそ次の如くである。

教科書の単元―日本の政治では、第一章第一、二節は教科書の記述を中心に教科書を朗読あるいは説明する方法によつて教科書を使用した。同第三節、代表制と議会政治同第四節政治機構についてはアメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランス等の政治形態の解説という形で授業をし教材としては社会科研究部会が協力して作成した政治経済資料集(甲第三五号証)を主たる教材として用いた(教科書も該当個所を指摘した)。右授業では前記各国の歴史的背景や既に認定の時事問題(ベトナム、朝鮮、米偵察機撃墜の各問題)等にも及んだため長時間をかけ教材も時事問題については新聞の切抜き等を用いた。

第二章日本国憲法の基本問題については旧憲法と現行憲法を比較する便宜のためプリントを作成し生徒に配布しまた教科書を生徒に朗読させる方法によつて教科書を使用した。単元Ⅱの日本の経済では主として資料集を用いて授業が行なわれたが、教科書も生徒に朗読させたり、該当個所を指摘する方法もとつた。右単元は二学期三学期を通じ全般はわたつて授業が行なわれた。原告山口は政治経済の毎時間教科書、資料集、ノートを教室に携帯し、生徒も怠慢な者を除く大半の生徒が教科書及び資料集を携行した。

昭和四四年度三年生二組(木村陽一、木本真静ら)の政治経済の授業も大同少異で年間授業計画の説明、教材の使用関係等右とほゞ同様である。

原告山口の右授業における教材の使用については右のとおり政治経済資料集が重要な教材として用いられる教科書自体の直接使用は右資料集ほどではない。

しかし右資料集は、九州各県の政治経済担当の教師からなる社会科教材研究会によつて編集され現に福岡県下の多くの高校においても教材として使用されているものであり、内容的に見ても教科書の単元と対応し教科書の記述より一層詳細なものとなつているが、右両教材は内容的にみれば大部分重複するものといえる。従つて原告山口の場合、教科書を念頭に置き、具体的な授業の展開において資料集を用いたと認められるから全体として教科書を教材として使用したとの法的評価が可能である。

以上の事実を認定できこれを覆えすに足る証拠はない。

証人堀明彦、同吉武政子、同木本真静の各証言では、原告山口が教材として殆んど資料集を用い教科書を使用しなかつた、とあるが、右は本件の場合資料集使用が、全体として教科書を使用したと同一の評価をなしうることを考慮しない供述であつて、この点に関しては前認定の事実関係に抵触するものではない。

以上の次第で、被告の教科書不使用の主張は採用できない。

第四原告茅嶋、同山口の考査及び評価について

一考査について

(一)  〈証拠〉によると、伝習館高校の「生徒手帳」第二章学力評価、第五条、「学習成績評価規定」では、第一項で「学習成績を一斉考査・平常考査、観察、提出物、出欠状況、学習態度等によつて評価」し、学期末及び学年末に生徒と保証人に通知する。ただし第三学期分は通知しないで学年成績だけを通知する(ママ)。」

第三項では「一斉考査は定期的に概ね左の五期に実施する。

五月下旬、七月中旬、一〇月中旬、一二月中旬、三月中旬(三学年は一月下旬)」と規定されている。

原告茅嶋が昭和四四年度において二年一、四、六、八、九、一〇各組の倫理社会及び三年一、六組の政治経済を担当したこと、同年度三学期二年生の担当教科の成績評価につき考査を実施しなかつたことは当事者間に争いがなく、また同原告が同年度一学期に右担当クラスにおいて考査(一斉考査)を実施せずこれに替えてレポート(テーマは「現代社会科教育批判―はたして〈批判教科〉たりえているか」)の提出を求めたことは成立に争いのない甲第五四号証によつて明らかである。

原告山口が、昭和四四年度において二年二、五、七各組の倫理社会及び三年二、三、五、八、一〇各組の政治経済の担当をしたことは当事者間に争いがなく、また同原告が同年一学期に右担当クラスで考査(一斉考査)を実施せずこれに替えて生徒にレポート(三問中一問を選択させた)の提出を求めたことは成立に争いのない甲第四号証によつて明らかである。

原告らは右レポートをもつて考査と同視しているごとくであるが、前掲生徒手帳の記載によると、考査には定期的に実施される一斉考査と平常考査に区分されているところ右レポートは「提出物」にあたる(証人原尻隆吉の証言)と解釈されるので一斉考査はもとより平常考査にも該当しないと解するを相当とする。

(二)  被告は前記一斉考査の不実施をもつて、福岡県立高等学校学則第八条に基き伝習館高校の校長が制定した校内規定(所属教員を拘束する)に違反する、右の校内規定とは前記の生徒手帳中第五条の「学習成績評価規定」を意味する旨主張するので以下検討する。

福岡県立高等学校学則(昭和三二年福岡県教育委員会規則一四号)八条は「生徒の学習成績の判定のための評価については、学習指導要領に示されている教科及び科目の目標を基準として、校長が定める」と規定されている。

しかし、前記生徒手帳(生徒心得綱要を含む)の作成は、毎年生徒部を中心にして検討され、職員会議にかけて決定されていたことは〈証拠〉によつて明らかである。

〈証拠〉によると、本件処分当時、福岡県立高等学校の大部分が職員会議を校務運営の最高決議機関とする校内規定を有し、伝習館高校においても昭和三七年ごろ職員会議で「校務運営規定」が制定され、以後の改正についても毎年選挙で選ばれた検討委員会で検討され、運営委員会の議を経て職員会議で決定されていた。右規定の第三条では、職員総会が校務運営全般に関する最高議決機関であること、職員総会の審議決定する事項として(1)本校教育の目標、指導方針(2)生徒の入学、退学、転学、卒業及び賞罰に関する基本方針(3)重要なる対外問題の処理方法(4)全職員の協力を必要とする事項(5)全職員に重大なる影響を与える事項、と規定され、実態としてもそのような運営がなされていたことを認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上の事実によると前記生徒手帳は、福岡県立高等学校学則第八条に基いて伝習館校長が制定したものではなく、当時最高議決機関であるとされていた職員総会において審議決定されたものである。

かりに生徒手帳の成立過程のいかんを問わず、これを右学則第八条の規定に基く校長の定めた細則であると解するとしても、生徒手帳の「学習成績評価規定」が教師に一斉考査の実施を義務づけたものであろうか。

右生徒手帳(乙第七号証)には、「この手帳の取り扱いについて」と題し、一、この手帳は本校生徒の身分を証明するものであるから、常に携帯しなければならない。二、この手帳は生徒の明朗健全な学校生活を指導するため、又学校と家庭との通信連絡を図るためのものであるから、大切に取り扱い十分に活用すること。と規定されている。その内容をみても生徒心得、選挙およびリコール細則、図書館利用規定等生徒を受範者として学校当局と生徒との間の「利用規則」に類するものであつて教師の教育活動(教育課程管理)を規制する目的で制定されたものとはいえない。

ちなみに、前記「学習成績評価規定」でも成績評価は一斉考査、平常考査、観察、提出物、出欠状況、学習態度等によつてするとあり、一斉考査も定期的に概ね左の五期に実施すると規定されているが、教師は如何なる教科目にあつても一斉考査を実施すべき義務を規定したものとはいえないであろう。

〈証拠〉によれば、伝習館高校では一斉考査実施の有無は慣行として決まつておりその時期は三ケ月毎の行事計画を決定する際に教務部が立案して職員会議に提案し、職員会議で決定されることになつており、一斉考査実施の手順は、実施期日の約二週間前に教務部が教員室の黒板に貼る用紙に、考査を実施する教師は実施科目、クラス、担当者を書きこれに基いて教務部が考査の期間割を作成し一週間前に生徒に通知する手続がとられていた。そして音楽、美術、保険体育、家庭科については一斉考査は殆んどなく、倫理社会、政治経済等授業時間の少ない科目については一斉考査のうち中間考査は学校全体として行なわれていなかつたことを認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

以上の事実をも考慮すると、伝習館高校における一斉考査は各教科目により、すべての一斉考査を実施する教師もあり、小単位の科目については一斉考査中中間考査を実施しない教師もあり全く一斉考査を実施しない科目もあつたのであつて、これらは伝習館高校の学校のいわば慣行に従つて行なわれていたものと推認し得る。

従つて原告茅嶋、同山口の一斉考査不実施をとらえて校内規定に違反したとは云えず他に一斉考査を義務づける規定の立証のない本件では一斉考査不実施をもつて直ちに戒懲処分の対象とはなし得ない。もつとも伝習館高校において、倫理社会、政治経済の科目が従来から一斉考査のうち期末考査が慣行とし確立していた場合には、その不実施につき、校長は指導助言をなしうるものと解され、若しこの指導助言を拒否する場合には、地方公務員法第二九条一項二号の職務を怠つた場合として懲戒処分の対象となり得るものと解される。

二評価について、

(一)  原告茅嶋が昭和四四年度において二年一、四、六、八、九、一〇各組の倫理社会及び三年一、六組の政治経済を担当したが同年度一学期成績評価についてすべての担当クラス全員に一律六〇点と評定したこと、同二学期の倫理社会(二年一、四、六、八、九、一〇組)について再び全員一律に六〇点と評定したことはいずれも当事者間に争いがない。

原告山口が昭和四四年度において二年二、五、七各組の倫理社会及び三年二、三、五、八、一〇各組の政治経済の担当をしたが同年度一学期の成績評価にあたり、レポート提出者に一律六〇点不提出者に一律五〇点と評定したことは当事者間に争いがない。

(二)  被告は、原告茅嶋、同山口が、成績評価について昭和四四年七月ごろ内田校長から評価のしかたを是正するよう指示したにも拘らずこれを無視した旨主張する。

証人内田証人の証言には「成績評価に関して(四四年)二学期末ごろ職員会議で、当時社会科の非常勤講師の井上稔先生に考査、評価について科で話し合つていたゞくようお願いした。茅嶋先生や山口先生個人に、いちいちにわたつて言つていたゞくことまではお願いしていない。科で話し合いがなされたかわからない」との供述部分がある。また証人三小田英治の証言によると、同人は当時伝習館高校の教務部長であつたところ夏休みか九月ごろ内田校長から評価について教務部長からいつてくれんかといわれたが、それは内田校長から言つて下さいといつて断つた。二学期中旬、内田校長が職員会議で評価のバランスが取れないようなことがないようにといつた。それは正式な議題ではないと供述している。

右職員会議で評価について触れたことが事実であるとしても少なくとも原告茅嶋同山口に対する評価方法の是正の指示といえないことは証人原尻隆吉、同石橋保一の各証言に照らし明らかである。他に被告主張事実を立証するに足る証拠はない。

(三)  学校教育法施行規則第六三条の二では生徒が高等学校における全課程の修了の認定を受けるには「高等学校学習指導要領の定めるところにより八五単位以上を修得」しなければならないとされ、各教科、科目についての単位の修得の認定は、本件学習指導要領では「生徒が学校の定める指導計画に従つて教科、科目を履修し、その成果が教科、科目の目標からみて満足できると認められる場合」になされるものと規定されている。

そして右認定にあたつては生徒の「平素の成績を評価して、これを定めなければならない」とされている(学校教育法施行規則第六五条一項第二七条)伝習館高校では、生徒の「平素の成績を評価」する手段として一斉考査が予定されているが、必ずしもこれに限らず平常考査、観察、提出物、出欠状況、学習態度等によつて評価するものとされている。(前掲生徒手帳)そして学期末及び学年末に生徒と保証人に通知すると規定されている。

学期末の成績評価が適正に行なわれない場合には、ひいては単位修得の認定にも影響を及ぼし不適切な認定のなされる虞れもある。

ところで教諭は、児童の教育を掌る(学校教育法第二八条四項)ことであると規定され、その本務は教育課程管理であるが、具体的には教場における教育実施のほか間接教育活動(教育計画立案、教案準備、成績評価、父母面談、研修等)及び教育活動に直結する事務としての教務(各種教育計画書・出席簿・通信簿・指導要録・内申書・学校日誌等の作成記入、教室教材の管理、学級学年会計の一部)をふくむとされる。

すなわち生徒の成績評価権は教師の職務権限であるが事実上重要な教育的機能を果している。

「指導要録」は生徒の学籍および学習の過程、結果を記録した表簿として規定され学校教育法施行規則(第十二条の三、第十五条一項四号)に根拠をもち(昭和三六年二月一三日文部省初等中等局長通達により様式、記入方法が示されている)伝習館高校でも成立に争いのない甲第二四号(内規集)に生徒指導要録と題して詳細な規定が置かれている。

右によると「各教科、科目の評定および単位修得の認定」について「評定」の欄は、各教科、科目の学習についてそれぞれ五段階で表わし、五段階の表示は、5、4、3、2、1とすること。高等学校学習指導要領に定める当該教科、科目の目標に照らし、特に高い程度に達しているものを5とし、高い程度に達しているものを4とし、おおむね達成しているものを3とし、達成がふじゆうぶんなものを2とし、達成が著しくふじゆうぶんなものを1とすること。また評定1のときは単位の修得を認めない取り扱いとし、「修得単位数」の欄に○と記入すること、など規定されている。

〈証拠〉によると、原告茅嶋は、昭和四四年度一学期にはレポートによつて担当科目の全生徒に六〇点と評定し同二学期は考査によつて同様全員六〇点と評定したが年度末の成績評価については前記指導要録に則り五段階法によつて評価し、評定のしかたも一律ではない。原告山口は昭和四四年度一学期はレポートによつて担当科目の全生徒に六〇点と評定し同二学期は考査によつて一〇〇点法により一律でない評定を行ない、学年末の成績評価については、三年生については、一、二学期の得点をもつて年度成績を出し指導要録に則り五段階法によつて評価し一律でない評定をなし、二年生については一、二学期の得点と三学期は考査にかえ授業時間中数回の感想文を提出させ、これらによつて年度成績を評価し指導要録に則り五段階法によつてそれぞれ一律でない評定を行なつたことを認めることができ右認定に反する証拠はない。

(四)  そこで問題は、原告茅嶋、同山口が学期末の成績評価(いわゆる通知表に記載される)についていわゆる一律の評定をしたこと、及びこの評定が年度末の評定(指導要録記載)に影響を及ぼす限度につき検討されなければならない。

いわゆる「通知表」には法的根拠がなく、主として家庭通信を目的とする学習結果記録として各学校により多様な形式で作成され事実上重要な教育的機能を果している。

被告は前記生徒手帳の学習評価規定が福岡県立高等学校学則第八条に基いて伝習館高校長が制定した校内規定であると主張するが、右は校長の制定したものでなく伝習館高校の職員会議で決定され制定されたものであることは前叙のとおりである。

さきに生徒手帳の成立課程のいかんを問わず右学則第八条の規定に基く校長の定めた細則であると解しても、学習成績評価規定の文言解釈、生徒手帳の法的性質、伝習館高校における各教科目の一斉考査実施の慣行等に照らし、一斉考査の実施を教師に義務づけたものではない旨述べたが、成績評価についても同様のことがいえるであろうか。

右学習成績評価規定によると、「一斉考査の実施」はともかく、各種の方法によつて学習成績を評価し、生徒と保証人に通知することが規定されている。この規定の当然の前提として教師は担当科目につき各学期毎に(ただし三学期分を除く)成績評価すべきことが職員会議で決定されこれに基いて各学期末にいわゆる通知表という形で生徒及び保証人に通知する仕組みになつていると解される。

従つて原告茅嶋、同山口の前記六〇点の評定は、各生徒の学習成績が偶然的に同一でない限り、真の意味で学習成績の評価に基いて評定したことにはならない。少なくとも同原告らは伝習館高校の職員会議で制定された「校内規定」に違反したものということができる。

(五)  生徒の成績評価は教育上いかなる意味をもつか。

証人大六野勤の証言にみられるごとく、教育は生徒の内に潜在する素質を発見しこれを引き出し麿がきをかけることによつてより高次元の価値に高めること、これが教育活動であつて、教育の成果、換言すれば生徒の進歩、変化の度合いを測定する必要がある。その測定活動が評価であつて、教育上重要な意味を有するものと考えられる。生徒の成績評価権は教師の職務権限に属するが、右重要性に鑑み、教師の恣意的、独善的行使が許されないことは教育条理に照らし首肯し得る。

原告茅嶋がいわゆる一律評定した理由として、述べるところは要旨次のごときものである(原告茅嶋本人尋問)

すなわち原告茅嶋自身は、一学期から三学期までの評価をレポート、考査等によつて内部的に行ない学年末評定では前記のとおり五段階評価としたこと、当時の伝習館高校の生徒が評点のみを重視し学ぶ過程を蔑視する大学受験教育の弊害に侵触されていたのに対し、「学ぶ」とは何か、「評価」とは何かを一律に六〇点と評定することによつて生徒に反省を促したのだ、と。つまり生徒が勉強して素晴しい内容のものであれ、不勉強でそまつな内容のものであつても評点(一、二学期)は皆同じ六〇点だといい、受験体制のなかで形成された意識をもつてすれば勉強した者は損するという意識が出てくるであろう、それでもなおかつ学ぶかどうか、そこが全員六〇点の評定をした中心的ポイントであり、いわば生徒への一つの挑発であるが、意図的に教育方法の一つとして全員に六〇点の評定をしたと供述している。

原告山口は、前掲甲第四五号証において、レポートの点検は、生徒が授業の内容を理解しているかということ、どのような立場であれ自己の考えに基いて論述しているかの二点から行なつた。そしてレポートを提出しても右の観点から、これに到達していない生徒には面接をして指導、助言のうえ書き直すよう指導した。書き直して合格した者と、そのまま合格した者との間に差をつけず六〇点と評定し、故意にレポートを提出しない者に対しては、何故提出しないかの面接を行なつた。それは同原告が、「全員に単位を出すが、最後まで全員をいじめる」といい渡してあつたからである。最後までレポートを提出しなかつた者が何人かいたが、そのうちある者は、書いてみたが気に入るものが書けなかつたというもので、それなりの努力をした者であつて話し合つて五〇点と評定したと述べている。

原告茅嶋の前記「評定」では生徒の側からみれば、当該科目の学習の到達度を認識する方法を欠くこととなる。つまり教育ないし学習の結果、自己が当該科目の目標からみてどの程度であるか、いかなる点において誤びゆうがあるか、基礎的な知識や判断力等把握のしようがない。また学習成果の全くあがつていない者も同様に六〇点であるならば、その生徒は学習成績があがつているとの錯覚を抱く虞れも多い。また教師にとつても評定は各生徒の学習の到達度を認識し以後の教育の反省資料となり教師の教育方法等につき参考資料となるものである。

このような意味で教師は成績評価権を適正に行なわれなければならないのに原告茅嶋は(昭和四四年一、二学期において)前述のとおり独自の教育観に基いて恣意的ないし独善的な評定を行なつたものというべきである。

原告山口の場合レポート提出者と不提出者に対しそれぞれ差等を設けている点は合理的であるが、その余の点については原告茅嶋と同様の批難を免れない。

付言するに同原告が、生徒に対し、出席しておれば単位は必ずやると発言(証人吉武政子、同堀明彦、甲第四五号証)したことは本件学習指導要領第一章第二節第三款(単位修得の認定―法的拘束力ある)の趣旨に反している。

なお原告茅嶋、同山口の前記六〇点の評定が、単位修得の認定ないし指導要録の評定に決定的な影響を及ぼしたとの立証は十分でない。

以上の事実によれば原告茅嶋の昭和四四年度一、二学期における担当教科の全生徒に対する六〇点の評定は教育的配慮を欠き、真の意味の評価がなされたと見ることはできず成績評価権の恣意的な行使として地方公務員法第二九条一項二号の職務を怠つた場合に該当し懲戒処分の対象となるものと解される。原告山口の昭和四四年度一学期における担当教科の生徒に対する六〇点と五〇点の評定も、同法第二九条一項二号の職務を怠つた場合に該当し懲戒処分の対象となり得るものと解される。

第五その余の処分事由

一原告茅嶋について

(一)  原告茅嶋が昭和四三年度三年生の政治経済の授業において「共産党宣言」(マルクス著)「空想より科学へ」(エンゲルス著)を読み、そのいずれかについて読後感をレポートとして提出するよう求めたことは当事者間に争いがない。

被告は、右課題が同年度三学期(昭和四四年二月ごろ)であり、原告茅嶋は右課題を命じるに際し「夏休みに出そうと思つたが大学受験の勉強ができないようにこの時期に出す」旨発言したと主張し、これらの行為は本件学習指導要領第一章第二節第六款1、(1)及び(3)に違反すると主張するので判断する。

証人加藤治雄、同原尻隆吉の各証言並びに原告茅嶋本人尋問の結果によると、昭和四四年当時、伝習館高校においては、三年生の授業は一月末ごろまでで終つていたことを認めることができる。

前掲生徒手帳には、一斉考査の実施時期について三月中旬とあるがこれは一、二年生のことであつて三年生は一月下旬となつている。しかし右規定に拘らず実際には三年生は三学期(一月下旬にも)には一斉考査は実施されていなかつたことは右原尻証言によつて明白である。これらの事実は三年生の授業が一月末ごろをもつて終了していた事実の裏付けにもなる。右認定を覆えすに足る証拠はない。

従つて前記レポートの課題を命じた時期は昭和四四年二月ごろでないことは明らかである。

乙第三四号の二、3の書面には、被告主張の事実に符合する記載がある。右書面の成立過程については証人森英俊の証言によつて明らかであるが、伝聞であるうえ、供述者の住所氏名等秘匿されたままであるので右記載内容をたやすく借信し難く、他に右時期を立証するに足る証拠はない。

原告茅嶋が一般的に高等学校における大学受験体制、具体的には伝習館高校における大学受験体制(的教育)を批判しこれに反撥していたことは成立に争いのない乙第二九号証、甲第五四号証、原告茅嶋本人尋問その他既に認定の同原告の担当科目における授業の内容方法に照らし明白なところである。

右証拠によると、伝習館高校は、旧立花藩の藩校の名を継承し県下でも古い歴史をもつ学校の一つであり新制高校として発足後も名門校あるいは、いわゆる「受験校」としてのある程度の実績を有していたが、次第に強まる全国的な受験競争の激化に伴い、「受験校」としては次第にふるわなくなつた。これに対し同校同窓会幹部の圧力や周辺の高校の受験体制強化に刺激され伝習館高校でも次第に大学受験合格を目指す教育体制が強化されてきた。原告らが同校に勤務する当時は、受験体制として、

(A) 「準正課」という名の補習授業が、英語、数学、国語を中心に勤務時期前に行なわれ正課授業と一体をなしていたこと

(B) 普通科における文系進学、理系進学、就職コース別クラス編成が行なわれる教育課程も異なる

(C) 英語と数学の時間における能力別クラス編成

(D) 夏休み、冬休み中の補習

(E) 受験用模擬テストの実施

等があつたが、このような受験体制は同時に各教科、科目における各教師の授業課程の編成もいわゆる「受験向き」授業への傾向をもたらした。原告茅嶋は、社会科教師として右のような「受験向き」教育を批判し生徒に対しても、生徒の一部から要求する「受験向き」教育を拒否する態度を貫徹していたといいうる。

右態度は「朝日ジヤーナル」の対談中の同原告の次のような発言に端的に示されている。

「あるとき、三年生の政経と日本史を担当していて、授業が終つたあと、一人の生徒が「とにかく日本史を受験用にやつてくれ、自分は社会科はにが手で、むづかしい思想的なことなんかわからんでもいいんだ」という。その子からすれば、ぼくに教わつているのが不幸であるということらしい(笑い)そういう具体的な一人の人間が目の前で要求してきたときに、それを拒否すると云いきつてはじめてぼくは生徒に対して受験体制ナンセンスということを云つたことになる。あるいは職員会議で補習をどうするかというときに「伝習館からだれ一人大学に合格しなくたつてかまわないのだ」といいきる。そのときはじめて対教師との本当の葛藤関係も生じてくる。」

右のように原告茅嶋の大学受験体制的教育への批判的姿勢は明らかであるが、事実は前記の如く大学入試直前に被告主張の如きレポートを三年生に課したことを認めるに足りる証拠はないのであるから、前記当事者間に争いのない事実のみから本件学習指導要領違反(被告主張の恣意にわたる教育)を認めることはできない。(かりに被告主張のとおり本件学習指導要領に違反したとしても、当該条項に法的拘束力がないことは既に認定のとおりである。)

(二)  原告茅嶋が、昭和四三年度における三年生の政治・経済の授業において最近の学生運動につき講義し「フランスの革命運動の背景とその原因について」という試験問題を出したことは当事者間に争いがない。

被告は、右授業において革命を肯定する講義をなし、本件学習指導要領及び学校教育法第四二条に違反すると主張する。

しかし、前掲乙第三号証、乙第六号証ならびに既に認定の原告茅嶋の授業をもつても「革命を肯定する講義」をしたとの立証は十分でなく他にこれを認めるに足る証拠もない。

また右フランスの学生運動とわが国の学生運動との関連等についても全く立証はないので、被告の主張は採用できない。

(三)  原告茅嶋が、昭和四四年度における二年生の倫理社会の授業においてそれを行つた期間の点は別として週二時間の授業時数のうち一時間は同校の図書館において課題研究を命じたことは当事者間に争いがない。

被告は右課題研究の時期を年度当初から二学期末であつたと主張し、その間生徒を放任し、指導監督を怠つたと主張するので判断する。

〈証拠〉によると、右課題研究の時期は、昭和四四年六月中旬から同年一〇月中旬までであつたことを認めることができ右認定に反する証人近藤則之の証言は措信できない。

〈証拠〉によると、右課題研究とは、倫理社会のテーマ(原告茅嶋が示したものと、生徒個人の出したもの)を参考例としていくつか出し、各生徒は自分の興味あるテーマを一つ選択してグループ(五ないし六人ぐらいで編成)をつくり同校図書室で資料を探がし、図書を読むなどして後日教室で生徒の前で個人ないしグループで研究発表を行なうというものである。原告茅嶋は昭和四一年度から昭和四三度までにも右の研究発表を授業の中に組み込んでいたが、その場合は、希望者によるもので、テーマの研究も倫理社会の授業時間外に行なうものであつた。

本件処分事由となつている昭和四四年度は、原告茅嶋は倫理社会担当の各クラスの生徒を集め授業のあり方や方法につき協議を行なつた結果、倫理社会の授業のうち週一時間をテーマ別のグループ研究として行なうこととした。

原告茅嶋がグループ研究を行なうに至つた動機は、全ての生徒が自らテーマを選び、内容構成を考え、資料を探がし読書し研究するという自主的研究を体験さすことは受験教育に馴らされている生徒にとつては必要なことであると考えたことによる。そして課題研究期間は週一時間、図書館で生徒はテーマに関連する図書を読んだりグループ間で討議する者もあり不真面目な生徒はテーマに無関係な読書をする者もいた。

原告茅嶋は殆んどの時間、図書館に赴き生徒の進行状況を聞いたり生徒からの質問を受けたり本の紹介をするといつた形で助言はしていたが、時に図書館に来ない場合、生徒の一部が騒ぐので同図書館勤務の係員が何度か注意することもあつた。そして原告茅嶋の当初の意図に反しグループ学習の研究発表は行なわれず、研究成果をまとめたとの立証もない。以上認定の事実を覆えすに足る証拠はない。

右課題研究が授業時間を離れて行なわれた昭和四一年度ないし昭和四三年度は問題はない。

倫理社会の授業時間は週二時間と定められており教師はその職務上の義務として正当な理由のない限りその授業時間を教育活動に専念しなければならない。

右課題研究も教育活動の一環ではあるが、本件の場合は主として生徒の自主的な研究活動(自習)にゆだねるという面が強く、その成果も全く各生徒に委ねられており、従つて自主的研究に興味を示さないか基礎学力の十分でない者にとつては原告茅嶋の意図に反し、さしたる成果を期待できないものであつた。そうして原告茅嶋は、右の意慾、能力を欠く者について特に指導する様子はなく、主として生徒から積極的に質問したり相談する者(時間的にも限度がある)に対して補足的に助言をする程度にとどまつていた。

このような教育活動を週二時間の授業のうち一時間を六月中旬から一〇月中旬にわたる長期間続けしかもその研究発表も行なわれなかつたことは生徒の教育を掌ることを本務とする教師の職務上の義務に違反したこととなり、また生徒に右の「自主研究」を行わせながら自らは図書館にも来なかつたような場合は、授業時間を教育活動に専念しなければならない義務にも違反したこととなると解するを相当とする。

原告茅嶋自身もその陳述書において、この点に関し「確かに授業時間にどれだけ多くの内容項目をこなすか、という「授業効率論」的観点から考えると、非能率的に見えたし、また、生徒の興味や意欲の落差等から考えて、全ての生徒がそれを十分にこなし得るとはとうてい思えないという点から危ぶんだことも事実である」と述べ、また右課題研究に授業時間を使つて行なう形態を打ち切つた理由として、「一つには時間的な都合から講義に切り変える必要があつたこと、他の一つは、このまま続けた場合、半数位のグループは意欲と力量の不足からつき当つている壁を越えることができず、堕性に流されてしまい、形式的な形態だげが残ると考えたからである。」と述べている。

つまり原告茅嶋の当初のグループ学習の成果に期待した意図は実現できなかつたわけで、研究発表を行なうまでに至らなかつたことは、単なる生徒の自習とその実態において変わるところがない。

(四)  原告茅嶋が昭和四五年二月一〇日の勤務時間(放課後)に別紙四のビラを作成、印刷し、同日午後四時ごろ伝習館高校で生徒に配布したこと、翌一一日(建国記念日)同校々長の許可を受けないで同校会議室で討論集会を行ないこれを使用したことは既に認定したところである。

学校施設をその本来の目的以外に使用する場合には管理者たる校長の許可を受けなければならない(地教行法第二三条二号、福岡県教育財産管理事務取扱規則(昭和三九年福岡県教育委員会規則第七号)第四条、第一四条)。ところが本件処分当時、伝習館高校では、学校施設利用の手続規定として体育館兼講堂用に関する内規と学校施設備品の借用に関する内規が存在するが、後者の、借用申込内容につき疑義があるときは、運営委員会の審義を経るものと規定されている。右規定内容からみて、これが学外者からの借用申込のあつたときの規定か学内者をも含むかは定かではない。

証人箱田尚敬、同石橋保一、同塩山雅之の各証言によると、学外者が学校施設を借用した場合は使用料を払うが学内者とくに教師が使用するときは実態としては校長の許可や届出もしないで使用していたことを認めることができ右認定を覆すに足る証拠はない。

従つて原告茅嶋の、校長の許可を得ないで教室を使用した行為は、前記福岡県教育財産管理事務取扱規則第四条、第一四条違反となるが、当時の伝習館高校における施設利用の実態からみて、原告茅嶋が当時校長の許可受けなかつたことを強く非難することはできない。

次に放課後におけるビラの作成印刷、配布行為もこれが形式的に職務専念義務に違反することは否定できない。しかし証人石橋保一、同原尻隆吉の各証言によると当時放課後の利用の仕方は各教師の自由意思にまかされ弾力的な運営がなされていたことを認めることができる。従つて原告茅嶋にのみこの点を追求することはできない。なお建国記念日における討論集会そのものが実質的に違法であるとの被告主張事実は立証不十分である。

二原告半田について

(一)  原告半田が生徒に対する指導監督を怠つたとの主張について

〈証拠〉によると、昭和四四年度三年三組の学級日誌中、原告半田担当の日本史記載欄には、四月一六日「スターリン――毛沢東」四月一七日「米偵察機」一〇月二日「日米関係」一〇月二三日「沖繩について」一二月四日「宗教」と記載されているが、証人北島正明の証言によると、右学級日誌は授業を受けた生徒が記載するが、各生徒が授業内容を正確に書くとも限らず面倒くさいのでいい加減に記載する場合もあると認められる。単に右記載だけから授業内容を推測することは困難であり右記載を信用しても授業全部にわたつてその話があつたかどうかも明らかでなく、また「宗教」「沖繩について」「日米関係」等も日本史的立場からの授業であつたかも知れない。要するに右記載だけから原告半田が右日本史の該当授業において日本史と関連のない雑談をしたと推認することはできない。なお記入のない該当授業の内容を推測することは不可能である。

〈証拠〉によると、原告半田の日本史授業において(ことに一学期)、「サエの神信仰の話」「遺跡発堀で、掘つた跡が女性の性器に似つているという話」「妊婦の腹を槍で引き裂いて嬰児をつかみ出す話」「一二単衣を着てトイレにいつてどうしたか」等いずれも日本史に関連してはいるが猥談めいた話しがあり、現にその学級の女性徒(四名)らはこのようなときには下を向いて、黙つており、恥かしい思いを抱いていたこと、また原告半田は生徒から「エロ・ハン」というニツクネームをつけられていたことを認めることができ右認定を左右するに足る証拠はない。

(二)  被告は、原告半田の授業内容、態度に不満を抱いた生徒多数がしばしば教室を出て同人の授業を放棄したにもかかわらず出欠を点検せず、かつ、これらの生徒に対して何らの注意もしないまま、生徒を放任するなど指導監督を怠つたと主張する。

前掲吉武政子の証言には、日本史の授業で教室に入ると他の女生徒三名がいないので図書館に行つてさぼつた旨の供述があるが、〈証拠〉には、女生徒四名が日本史を欠課したが、吉武以外の二名は、一二月一九日は一日中欠席していることが窺われるので、原告半田の授業内容、態度に不満を抱いて欠課したとの右証言は、他の女生徒に関する限り、たやすく措信できない。

〈証拠〉によると、六時限目の日本史の欠課者欄には二〇名の生徒名が記され、また「感想及び反省」欄には、「六時限目の日本史の時間は欠課者が多くて教室はがらんとしていた」と記載されている。前掲〈証拠〉証人吉武政子、同北島正明の各証言によると、右期日に日本史の欠課者(二〇名)が多いのは、同日五時限目がロング・ホームルームの時間で担任の田中栄教諭が来なかつたため、附近の神社や図書館へ行つた或いはそのまま帰宅した者もいた。原告半田は、そこで何人かの生徒に依頼して図書館や運動場を探したうえ発見された生徒を教室に入れて授業をしたことを認めることができ右認定に反する証拠はない。

右期日における欠課者の多いことをもつて原告半田の授業内容、態度に帰責原因を求めることはできない。

乙第三四号証の三1、8は伝聞であるうえ供述者の氏名住所も明らかでなく措信できない。

被告は原告半田が同年度日本史授業において、自習時間が多かつたとして、乙第三八号証及び証人堀明彦の証言を指摘するが、右証言は、北島正明の証言並びに既に認定の「本件処分の経過」の事実に照らし措信できない。

右乙第三八号証の記載のみから、原告半田の日本史において自習時間が多いと見ることは早計である。

以上の次第で被告の前記主張は採用できない。

第六本件処分の違法性について

一懲戒手続の違法性の主張について

(一)  原告らは本件処分を行なうにあたつて事前聴聞の機会を与えなかつたことは憲法第三一条、第一三条、地方公務員法第二七条一項に違反する旨主張するので判断する。

憲法三一条は「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定しているところ、単に「法の手続」を遵守すれば足りるというものではなく個人に対して、その生命若しくは自由を奪いその他刑罰を科するには、法律の定める「適正な手続」によらなければならない旨を規定したものと解すべきことは同条の英米法的な沿革からいつても首肯しうるところである。

同条が行政手続についても適用があるが、また仮に行政手続に適用されるとしてその範囲について前説上の争いはあるが、同条が刑事手続に関する憲法第三二条以下の規定の冒頭に置かれ「生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」との文言にかんがみ同条は刑罰として生命または自由を奪われる場合(刑事手続)に関するものであつて、ひろくあらゆる自由一般を制限される場合を意味するものではないと解するを相当とする。

もつとも右は、かならずしも刑罰の場合以外は「法律の定める手続に」よらずに自由を侵してよいという意味ではなく、刑罰に準ずる身体の自由の拘束、従つて行政手続をふくむことは肯定されるべきである。

しかし、原告らの本件行政処分に対し、事前聴聞の機会を与えなかつたことを把えて憲法第三一条に違反するとの主張は採用できない。

即ち地方公務員の懲戒は、憲法第三一条にいう「刑罰」に含まれると解することはできないし、その懲戒については、地方公務員法第二七条一項に「すべて職員の分限及び懲戒については、公正でなければならない」と規定され、同法第二九条二項に「懲戒処分の手続及び効果は、法律に特別の定がある場合を除く外、条例で定めなければならない」と規定されている。

そして「福岡県職員の手続及び効果に関する条例」には懲戒処分に先立ち、当該職員に対し弁解の機会を与えなければならないとの手続規定はない。

原告らは憲法第一三条、第三一条を根拠に国民の権利、自由が手続的にも尊重されるべきことを要請する趣旨を含むとし行政処分にあたつては行政庁の恣意、独断等の介入を疑われることのないような適正な手続が必要で、事前聴聞は適正手続にとつて不可欠のものであると主張する。

憲法第三一条の解釈は前叙のとおりであり、一般の行政処分ないしその手続に関しては事柄の性質の多様性にかんがみて直接には明文規定を設けずむしろ法律に基づく行政の原則によつて国民の権利、自由を保障しようとするものであると解する。

そして一般の行政処分に関する権限、基準、手続のうちどの範囲でどのように法律で定め、どの範囲を条例命令等の下位法に委ねるかは立法裁量に属することであるから前記地方公務員法第二九条第二項に基き定めた前記福岡県条例に事前聴聞の機会を与える旨の規定を欠くからといつて、法治主義の原則に反するとか、憲法第一三条に違反するということはできない。

(二)  なるほど原告ら指摘のとおり本件処分に先立つ調査の発端、調査の方法、調査の対象等において適切でない処置のあつたことは既に「本件懲戒処分に至る経緯」として認定したところである。

即ち調査の発端は匿名の電話或いは投書とされ、これに基き一二月七日伝習館高校への立入調査が行なわれ、三月一七日の調査は「二月アピール」という匿名の文書を根拠にしている。

調査方法も、伝習館高校長を経由しないで行なわれた場合もあり同校の田中栄教諭を経由し、被告の事情聴取も概して右田中栄と親しく反面原告らに嫌悪を感じている職員、父兄、生徒らを中心とするものであつた。

この様な調査方法の結果は処分事由のうち一部事実誤認となつて顕われたことは、これまで認定してきたところから明白である。一二月七日の立入調査以降伝習館高校の生徒、教師の混乱の原因のいつぱんは被告の調査方法の不適切さにもあることを否定し得ない。

しかしだからといつて原告らに対する懲戒処分が地方公務員法第二七条一項に違反するとまでは云えず、右処分の効力を左右するものではない。

二本件各処分の効力について

(一)  原告茅嶋について

既に認定したところによると、原告茅嶋に対する処分事由中懲戒処分の対象となり得るものは次のとおりである。即ち(イ)昭和四三年度及び昭和四四年度において同原告の担当する倫理社会の教育活動にあたり所定の教科書を使用しなかつたことが学校教育法第二一条(第五一条)に定める教科書使用義務に違反したこと(ロ)昭和四四年度同原告の担当する二年生の倫理社会及び三年生の政治経済の成績評価にあたり一・二学期を通じ全生徒に一律に六〇点と評定したことが教師としての「職務を怠つた場合」に該ること(ハ)昭和四四年度二年生の倫理社会の授業において、週二時間の授業時数のうち一時間を同年六月中旬から一〇月中旬まで同校図書館で、課題研究を命じ授業活動を行なわなかつたことが、その実態において生徒の自習と変らず、教師としての職務上の義務に違反もしくは職務専念義務に違反したこと(ニ)昭和四五年二月一〇日勤務時間中伝習館高校の図書館で「国家幻想の破砕を」と題するビラを多数印刷したうえ同日午後四時ごろ右ビラを同校内において生徒らに配布した行為が職務専念義務に違反すること(ホ)同月一一日同校々長の許可を受けないで同校会議室を使用したことが福岡県教育財産管理事務取扱い規則第四条、第一四条に違反すること、以上である。

処分事由中「夢幻の呪詛」「老いているであろう新入生諸君」「想像力が権力を奪う」の各文章は、指導助言の対象となりうるが被告ないし伝習館高校長による指導助言をしたとの立証がないので、右各文をもつて直ちに懲戒処分の対象とはなし得ない。その余の処分事由についてはその立証がない。

公務員に対する懲戒処分は、公務員の勤務についての秩序を保持し綱紀を粛正して公務員としての義務を全かしめるために行なわれるものであつて職員の身分喪失、給与減額等を直接の目的とするものではない。

任命権者が、公務員の服務違反行為に対し、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決定するについては、当該行為の違法性の軽重、本人の性格および平素の行状右行為の他の職員に与える影響および他の職員に対する訓戒的効果等の事情をしんしやくする必要があるが、とくに本件のごとき教師については、当該教育に利害を有する生徒、父兄等に対する配慮も不可欠である。しかしてこれらの点についての判断は教育事情に通ぎようし直接その衝に当るものの裁量に任すのでなければ適切な結果を期待できない。

しかし他面、懲戒免職処分は、その者を排除するものであつて反省を求め以降の服務義務違反の除去等を期待するものではないからその処分については慎重な考慮が払われるべきである。本件の如く教師の教育内容に関連して行なわれる場合はとくに他の一般教師に対する影響について深い考慮が払われるべきであろう。

以上のような観点から、任命権者が懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決定することは、その処分が全く事実上の根拠に基かないか重要な点において事実誤認がある場合又は社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲をこえる場合を除いてはその裁量に任されるものと解するを相当とする。

原告茅嶋に対する本件懲戒免職処分は、重要な点において事実誤認があるとは云えず前記認定の懲戒事由に対する処分としていまだ社会観念上著しく妥当を欠くとは考えられないので、同原告に対する処分が違法であるとの原告ら主張は採用することができない。

(二)  原告半田について

同原告に対する処分事由中懲戒処分の対象となり得るものは(イ)昭和四四年度三年生の日本史の中間試験問題の一部が同科目の目標内容を逸脱して出題され、これに対する評定が日本史の単位修得の認定についての基礎資料の一部としたこと(ロ)昭和四三年度三学期(一年生)地理Bの試験問題の一部及び昭和四四年度(一年生)地理Bの試験問題の一部が同科目の目標、内容を逸脱して出題されこれに対する評定が地理Bの単位修得の認定についての基礎資料の一部としたこと、がいずれも本件学習指導要領の法的拘束力ある「単位修得の認定」に関する条項に抵触することである。

しかし右の逸脱した試験問題は一部であつて学年末の五段階成績評価に多少の影響はあつたとしても、少なくとも「単位修得の認定」そのものについてこれを左右するほどの比重は考えられないしまたその立証もない。

その他の教科書不使用、生徒に対する指導監督の懈怠の処分事由は事実誤認である。

従つて同原告に対する懲戒免職処分は重要な点において事実を誤認し、なお右学習指導要領の違反のみをもつて右処分を行なうことは社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を逸脱したものと解されるから裁量権を濫用したものというべきである。

(三)  原告山口について

同原告に対する処分事由中懲戒処分の対象となり得るものは、昭和四四年度同原告の担当する二年の倫理社会及び三年の政治経済の成績評価にあたり同年度一学期にレポート提出者に一律に六〇点、不提出者に一律に五〇点と評定したことが教師としての「職務を怠つた場合」に該ることである。

その余の教科書不使用は事実誤認に基くものであり学習指導要領違反は被告の法解釈を前提として事実に適用したものであつて当裁判所は採用しない。

従つて同原告に対する懲戒免職処分も重要な点において事実を誤認しまたは法解釈を誤つて適用したものである。

なお右評定についての違反のみをもつて右処分を行なうことは社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を逸脱したものと解されるから裁量権を濫用したものというべきである。

第七結論

以上の次第であるから被告の原告半田、同山口に対する各処分は被告が裁量権を濫用したものとして行政事件訴訟法第三〇条により右各処分を取消すべきものであり、原告茅嶋に対する処分は違法性がないので同原告の請求を棄却し訴訟費用については民事訴訟法第八九条第九二条により主文のとおり判決する。

(岡野重信 中根与志博 榎下義康)

別紙一

夢幻の呪詛

顧問  茅嶋洋一

「演劇とは何か」という、ドラマに関わる人間にとつて根源的な問に対して、伝演公演パンフの中で私は次の如き答えを投げかけてきたと思う。「犯罪者たること。虚構の世界に於て犯罪を試みること。」と。然しながら「犯罪」という言葉は、少々センセーシヨナルなきらいがあるし、又比喩的に過ぎる懸念がある。それ故にここでは、ある一定の視座から「犯罪」なる言葉に照明を当てて、その偏見的意味を演出してみたい。その視座とは何か、そは「人間的自由」の極限。そこから照らされる光によつて演出される「犯罪」の偏見的像とは何か。そは「革命」。本来「犯罪」とはタブーに対する侵犯であるが、ここで問題にすべきそれは自然発生的、外在的なものではなく、きわめて内在的なもの、すぐれて観念的なものである。幻想としての共同性の内に生きる我々の生活過程において、無数に、重々しく張りめぐらされている己の内なるタブーの綱をその根底において断ち切ることである。即ち己自身の頭脳に集約された人類の頭脳の切開手術を行うことを意味する。その頭皮を剥ぎ、頭蓋を開けて、その中に萎縮して石のように硬化した、あるいは風化しはてて石炭のようにぼろぼろに砕け散つた脳髄を鋭いメスで剔抉し、人類史上幾多の夢幻者或は覚醒者が、おぼろげながら幻視の内にかいまみた全く新き物質を錬金術者の手を借りることなく己が独手によつてつめこむことに他ならぬ。この自然と社会の、秩序と制度の変革を引き起し、人間存在の意味の顛倒をもたらす一つの全く新しき思考法、世界像の全き顛倒を夢みる幻視者たちによつて、幾度も挑戦を受けながらも、愚昧にして狡智、卑屈にして傲岸な権力者とその良民共の怠惰な共犯関係によつておこがましくも正系をもつて存在し続けて来た牢固たる思考法を根こそぎ顛覆し得る一つの鮮烈な思考法を己の内に所有することを意味する。これ即ち「革命者」であれば、「犯罪者」とは即ち「革命者」の謂の比喩的表現に他ならぬ。それは昼の現実と夜の夢幻を、権力と階級支配の現在と、それを埋葬し終えた幻視の彼方としての未来とを二つながら同時に生きる人間を意味する。

然しながら「革命」の意味が現実的過程に於て、左翼とか前衛とかを潜称するものによつて限りなく汚されているのを眼前にするとき、即ち革命なき革命の世紀を、現実的に生きることを強いられている時、「革命者」として完全犯罪を夢みる者はその屈辱の鉛を腹中深く飲み込みながら、あまりにも遠い未来での復讐を、濛溟たる虚構の世界に沈みつつ、絶えず現在化する以外に術を有たないのであろうか。それとも昼眠でもして白昼夢にうなされながら永遠の呪詛を続けつつ朽ち果てる道を選ぶしか許されていないのであろうか。

別紙二

老いているであろう“新入生”諸君!

茅嶋洋一先生

“新入生”と呼ばれるところの諸君、偶然にかつ意志的に君達と関わらざるを得ぬ人間として、これからの関わりの過程に於ける、限りない愛と憎悪とを予想しつつ、君達にまず連帯の合掌を述べたいと思う。―私流儀に

私にとつて、君達に対する連帯の挨拶とは何か。それは君達と君達をとりまく状況と、そしてその両者の関わりをあばき、告発することであると確信している。私は初めに「“新入生”と呼ばれるところの諸君」という表現をしたが然しこれは単なる表現の衒いとはあくまで異なつて、本質的意味を有している。

君達が“新入生”であるのは、伝習館高等学校という場所に、そこで高校生活を生きるものとして、新しく入つて来たという意味に於てくらいしかないのであつて、君達の存在そのものが、フレツシユな生命あふれる若者であるという意味においてでは決してあり得ない。少くとも君達が、君達を育くんで来たところの一切を拒絶しようと意志していない限りに於ては。先ほど卒業して行つた君達の先輩達が高校生活三年の過程を青春の楽しき思い出などとして、怠惰な追想をその貧相な頭脳の中にくり返している限りは、絶対に黙目な存在でしかあり得ず、彼等が人間として自立して行くためには、現在の己を何らかの形で育くんだ三年間の学校生活の過程(いな十二年間の学校教育全過程)を憎しみ抜くことを、忘れてはならないと同じように。高校生活の第一歩を踏み出さんとしている君達に私が要求する第一の課題は、まず高校に託している君達の一切の幻想を断念すること。それは虚妄でしかあり得ないから。そして高校の現実に対して徹底的に絶望すること。もちろん、その絶望も虚妄でしかあり得ないが。君達がその絶望的な高校の現実状況のただ中にあつて、ひるむことなく自らの生を、創造してゆかんとするならば、まず己の退路を断つこと、即ち中学生活を幻想の中に於て、甘美にメタモルフオーゼ(変形)して、その中に逃避することをやめよ。その逃げこんだ地点から、今君達が立つ現実を告発したところで、それは決して批判としての力を持することはないのだから。確かに現在の高校は地獄である。現在の世界がそうであるように。然し地獄とは君達を火で焼き、針で刺すといつた責苦のみとは限らない。真綿で首をしめ、あるいは睡眠薬で静かに眠らせたり、死を感じさせずに安楽死させたり、さらに酷いことには、生きながらに屍をさらさせるというより悲惨な地獄もある。これが現代の地獄ではないだろうか。

そして君達の中学の現実も、この地獄図の一貫に過ぎなかつたということ。そしてこれから始めようとする高校生活もその地獄図の次の一貫であること。これをしつかと認識しつつ、今度めくる一頁は今までと異つて、己の顔つき相貌が他の鬼と戦う鬼面の一つであるということを意志してほしい。その図の中には、私もその修羅場に立ちふさがる一大赤鬼として描かれているであろう。

別紙三

“想像力が権力を奪う”

茅嶋洋一

想像力が権力を奪う、想像力の欠如それは欠如を想像しないことである自由は与えられるのではない。それは奪取されるのだ。自由とはわれわれが有していた財産ではないそれは法律・規則・偏見・無知によつてわれわれが所有することを妨げられていた財産なのだ人間は最後の資本家が最後のはらわたで道(原文のまま)をくくられるまで自由に生きることはできないだろう自由の敵に自由を許すな、人間の解放は全面的か、まつたくあり得ないかである。革命は存在することをやめて、実存すべきであるひとつの革命をつくり上げること、それはすべての内的束縛を打破することである。法律がわれわれに課した欺瞞的状況から脱れる手段は唯一つ、それは法律を破ることだ、強行しようこの言葉の中に現時点におけるすべての政略が含まれている漆喰ぬり変えはやめよ、社会構造が腐敗しているのだから、権力は奪取されるのではないかき集められるのだ六月一八日の呼びかけ(総選挙)の記念日にわれわれはドゴールを熊手でかき集めるだろう、資本家は彼の自由を守るためにコンコルド広場にいつたドゴール支持の徒党は諸君に搾取される自由を保証しようというのである資本家が自由であれば工場は徒刑場だ、ブルジヨワジーはすべての人間を堕落させるのが唯一の快楽である、もうエレベーターに乗るな権力を奪取せよ何ものも求めない何ものも要求しない奪取するのだ占拠するのだ快楽に対する留保は留保なしに生きる快楽をそそりたてるまず夢想することからはじめ給え現実を欲すること―結構欲することを現実化すること―もつと結構、僕は僕の欲望を現実とみなすなぜなら僕は現実を信じているから、明日は楽しめるという展開はぼくの今日の労苦を決して慰めてくれるものではない、今ここで楽しめ、愛をすればする程革命をしたくなり革命をすればするほど愛をしたくなる―怒れる者の一人、自由恋愛(しかしここでは駄目)何故ここに予定されているのは疎外された恋愛のみ、私達の持つ潜在能力を麻痺させてしまう愛情による固定化と闘いましよう、革命は事物の中に実現される前にまず人間の中に実現されねばならぬ、俺たちは確認した2+2はもはや4ではない、論理とは表現方法なり、主も神もなし神はぼくだ、明哲とは太陽に最も近い傷である、文化とは生の倒錯である。「文化」という言葉を聞くとわが国家保安隊を出動させるのである、文化とはジヤムに似ている少なければそれだけうすくひきのばす、人間の前に森があつた人間の後に砂ばくが続く、君の仕事を見つめてみたまえそこに参加しているのは虚無と責苦だ、芸術は存在しない芸術は君である、芸術それは糞だ、アルコールは身体に悪い」L・S・Dをのもう。言語は次の束縛の下に形成された個人間の社会関係の形態である―自然的疎外―社会的疎外

従つて言語を文法的抑圧の地点では無に帰してしまつてはならぬ如何なる理由も存在しないダダが言語の消滅を宣言してから文学は言語を再生させようとしてきただけである、何を書いてよいのか分らないそして何か素晴らしいことを言いたいのだが分らないすべては神秘にはじまり政治に終る、直視せよぼくの外部にある力に服従するすべての行為はぼくを立つたまま腐らせ社会秩序の正統的な墓堀り人に埋葬される前にぼくたちは拒否する―召集され―公団住宅化され―卒業試験化され―登録され―教育され―遠隔操作され―催涙ガス化され―書類化され……―ることを、君達のうらみつらみを総計せよ、そして恥じよ、試験=隷属立身出世階級社会客体よ消えてなくなれ、現在そこに“生きている”社会に疑いを入れるためには、まず自分自身に疑いを入れることができなければならぬ、侵略者とは反抗する人間ではなく肯定する人間である服従は意識から始まり、意識は不服従から始まる、われわれはすべて“好ましからざるもの”だ、誰も踏み入れたことのない道に危険をおそれず踏み込め! 誰も考えたことのない思想に危険をおそれず頭をつゝこめ! 行為が意識を設立する、俺を解放してくれるな俺のことは俺がやる、われわれ一人一人が国家なり、行為は自発的でありその中に、他者の実現化を含んでいる、われわれはわれわれの革命を起動させたにすぎない権力は大学を持つていた。学生はそれを奪つた権力は工場を持つていた労働者はそれを奪つた権力は国立放送局を持つていたジヤーナリストはそれを奪つた権力が持つているのは権力だけだそれを奪え、革命とは各委員会のものではない。それは何よりも君達のものだ、革命には二種類の人間がいる、革命をする者と革命を利用する者と、注意・出世主義者と野心家たちが「社会主義者」の仮面をつけて扮装する可能性あり、政治屋どもとその泥だらけのデマゴギーの餌食になるわれわれ自身だけを頼りにせよ自由なき社会主義とは兵舎である創造性自発性生死は必然的に反革命行為である、すべての革命家の義務は革命をすることである、中断することは禁止する、共産主義者は全員次の真理を理解しなければならぬ権力は鉄砲から生れる、マルクスを消費するな、もし力を用いねばならぬ必要があるならば暖昧な態度をとるな必要なことは組織的に偶然を探究すること、火は実現する。われわれの希望は希望なき者たちからのみやつてくる、終りなき怖れよりも、怖るべき終りをこれが全階級の政治的遺言である、全力で闘いを続けよストライキを続けよ占拠せよ意識あるところにのみ革命は起る、労働者よ君は二五才だが君の労組は前世紀の遺物だそれを変革するためにわれわれに会いに来給え労組は淫売家だ、われわれが持つているのは前史的左翼である、主人とは神とは何か両者とも父親の似姿であり必然的に弾圧的機能を果たす、批判の武器は武器の批判を通して得られる、共に考えることに反対共に強行することに賛成、オーバーにやることそれが創意のはじまりだ、簡潔であれ、そして残酷な人喰人種であれ、闘いはすべてのものの父である、破壊の情熱! はひとつの創造的歓喜である、革命の時代に生きなかつたものは生きる喜びを知らない、ぼくはひとり幸福な愚かものになりたいと夢想する、芸術は死んだぼくらの日常生活を解放しよう、自分の現実を欲望とみなすものは自分の欲望の現実性を信じているものである、ソルボンヌから解放されろ(ソルボンヌを燃やすことによつて)学生権力、革命、それは主導権である、アナーキーそれは私だ、栓よはねとべ大衆の革命的エネルギーを放出するために、倦怠が汗をかいている、棒は無関心なものを教育する革命そして革命のみが光を創造しそしてこの光が取り得るのは次の三つの道だけだ詩自由そして愛、君たちの革命は混乱し形骸化した大学の模倣であつてはならない、このブルジヨワ的学部の施設の破損は、革命的芸術の表現である、反動派とは改革を正当化して受け入れてそこに破損行為が花開くことを認めないもののことだ、注意せよマヌケどもがわれわれを包囲している異議申し立ての劇に止まるな劇の異議申し立てに移ろう、すべての思想の帰着それは舗石だ、通りの舗石をはぐことは都市計画破壊の手初めである、1968年に自由であることそれは参加することだ禁止する

別紙五

ソ連邦の関係

書籍名

大尉の娘

ポチヨムキンの反乱

○ロシア革命史

○世界をゆるがした十日間

○レーニン

レーニンの思い出

レーニン死後の第三インター

武装せる予言者

東方への私の旅

カタロニヤ讃歌

ことを禁止する、走れ同志よ老人が君の後にいる、死ねと叫ぶことは生きよと叫ぶことである、君たちの乳母(学校を意味する)を強姦せよ、もうすぐに魅力的な廃墟、現在に生きること、想像力が権力を奪う!(本文は1968年5月フランスの学生革命の際に、建物や舗道に書きしるされた“落書き”という形式の学生自身の言葉で構成す)

別紙四

国家幻想の破砕を! 「建国記念日」の虚偽をはぎ、己の観念の内なる「国家」を対象化する

ため登校と討論集会

を呼びかける!

伝習館教師集団有志

2.11.10時会議室

著者

プーシキン

ノンフイクシヨン全集

トロツキー

リード

トロツキー

クルプスカヤ

トロツキー

ドイツチヤー

レ・シーン

G・オウエル

ソヴイエートの悲劇

トリアツチイの証言

ソ連経済と利潤

中国の関係

書籍名

三十有余年

あじあのあけぼの

辛玄革命の体験

わが半生

人間の条件

征服者

中国革命

中国革命の悲劇

東方への私の旅

中国の赤い星

偉大なる道

延安一九四四年

毛沢東・詩と人生

動乱の毛沢東

台湾

中国で経験したこと

アメリカの関係

書籍名

アメリカ建国史

アメリカ独立宣言

古代社会

古代社会ノート

アンクルトム

○怒りのブドウ

廿日ネズミと人間たち

マンデイインゴ

V・アレクサンドロフ

R・ミエリー

堀建三

著者

宮崎滔天

山中峯太郎

呉玉章

溥儀

アンドレ・マルロウ

同右

トロツキー

ハロルド・アイザツク

V・シーン

E・スノー

スメドレー

ガンサー・スタイン

武田泰淳

鹿島宗二郎

王育徳

ジユール・ロア

著者

高木八尺

資料集末尾

モルガン

マルクス

ストウ

J・スタインベツク

同右

タバコロード

神の小さな土地

平凡なる教師

自由への道

アスピリンエイジ

アメリカの極東軍事戦略

米中もし戦わば

アメリカの悲劇

軍国アメリカ

フランスの関係

書籍名

フランス革命史

フランス人権宣言

フランス社会思想史

カトリツクの歴史

十八世紀フランス文学

フランスロマン主義

パリの歴史

社会契約説

エミール

パリコムミユーン

パリ燃ゆ

フランスにおける内乱

西部戦線異常なし

人間の条件

征服者

実存主義とは何か

デイエンビエンフー陥落

名誉と栄光のためでなく

十七度線の北

ジユネーブ会議最終宣言

コールドウエル

同右

ハワード・フアースト

同右

林克也

同右

ドライザー

小山内宏

著者

クロポトキン

資料集末尾

クセジユ文庫

同右

同右

同右

同右

ルソー

同右

ルフエーブル

大仏次郎

マルクス

レマルク

A・マルロー

同右

サルトル

ジユール・ロア

J・ラルテギー

W・バーチエツト

資料集末尾

抵抗

イギリスの関係

書籍名

国富論

西洋経済史

権利章典

プロテスタンテイムズの論理と資本主義の精神

人間悟性論

論理学大系

ユートピア

オリヴアーツイスト

モールフランダース

雇傭・利子および貨幣の一般理論

知恵の七種

淡徳三郎

著者

A・スミス

堀江英一

資料集末尾

M・ウエーバー

J・ロツク

J・S・ミル

T・モア

デイケンズ

D・デユフオー

ケインズ

T・E・ロレンス

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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